映画

『西の魔女が死んだ』

 梨木香歩、『西の魔女が死んだ』、新潮文庫、平成20年。

  この本は、7年前に初版が出ていて100万部なんて大ベストセラーとあったけど、今年には映画化されている。喘息だったり心の問題で、まいは中学に進んでまもなく登校拒否になってしまう。都会からエスケイプした先は、まいのおばあちゃんである西の魔女の家だった。まいは魔女のレッスンをおばあちゃんに伝授される。
 ミヒャエル・エンデの『モモ』が時間の国にいってエスケイプした1日が、戻ったところでは1年というように、時間が相対的にできているというのをうまく描いている点で、似ているかなと思った。
 まいと魔女の時間は、たった1月しかなかったけど、まいにとっては、それは1年以上もの大きな価値のある時間だったはずだ。この相対化された時間というものを、たった1月の魔女との時間をテーマにしている点でも、この作品はいい。

 映画のほうでは時系列に沿ってスタートするのだけど、小説のほうは、書き出しが、「西の魔女が死んだ」ってオチがあって話しが展開していく。
 それに、ここで登場するおばあちゃん=魔女の台詞はとてもすばらしいいのだけど、英国人が日本語でしゃべるというせいか、なぜだか、さわやかささえ漂ってくる。魔女はいつも「です・ます調」でおしゃべりをするのです。
 
 おばあちゃん=魔女は、超能力を使えるために基礎トレーニングが大事であり、「超能力というのは精神世界の産物ですから」(66)とはいうのだが、まいの魔女修行ノートの基礎基礎トレーニングの3つフィジカル面で、メンタル面での項目は1つだけとなっている。
 1)早寝早起きをすること。
    7時には起きて23時には寝るようにする。
 2)食事を3食しっかりとること
 3)よく運動すること
    掃除、洗濯など家事エクセサイズをする!
 ☆何でも自分で決めて最後までやりとげること。

 まいは8時間睡眠をとり、3度の食事を食べる、そして身体を動かす、これって当たり前のことだけど、時間においくられて不規則になりがちな現代人ってなかなかできないよね。それに、こういう当たり前のリズムで生きていくことが健康の基本になって、健康体ではないと魔女の力は使えないっていうシンプルな提示もいいと思う。ただ映画では、シーツを水おけにいれて足で洗うっていうシーンがあって、これは戦争時代じゃあるまい少しオーバー?洗濯機まで排除しているわけ?どこらへんまで徹底しているのかっていうところだけど、テレビ、ラジオなんかはないんだけど、キッチンには小さな冷蔵庫がちゃんとありました。家のリビングもおしゃれでいい。魔女がイギリス出身だけあって、魔女の作る料理は朝ごはんなら、トーストにハーブティーといったもの。パンフには肉じゃがポイントとして出てはいるけど、ここで登場する魔女レシピの基本は英国テイストだ。トーストがかりっと焼けていたり、サンドイッチのレタスを畑でとって、卵も鶏が産んだのを使うなんていう、いまの自給自足という問題ができにくくなった日本の食産業にも、一石を投じている。都市社会が発達して、時間に終われ、出来合いのものを食べ、自然と触れ合うことが皆無になってきた現代人にとって、この映画は、まいの成長の物語に終始するのではなく、都会からのエスケイプとなる心のオアシスになる作品だった。ゆっくり流れていく時間を、この映画から感じとることができるはずだ。

 魔女の言葉は、ぼくたちに大事なことを忘れていた何かを思い出させてくれる。魔女の作るキッシュが料理教室での目玉ではあったけど、魔女はひとつひねってユーモアがあるのを出すのだ。目玉焼きではなくキッシュができてくるし、ハーブティーに花を散らすとかそういうちょっとしたひねりだね。この美しいユーモアある食卓は映画でのポイントを上げているtyphoon

「・・・精神力っていうのは、正しい方向をきちんとキャッチするアンテナをしっかり立てて、身体と心がそれをしっかり受け止めるっていう感じですね」(67)

 私の祖母の場合は、自覚した魔女ではありませんでした。最初はね。ですから何の準備もしていなときに、そういうものが突然見えるというのは、祖母には大変つらいことだったのです。よく訓練された魔女にはそういうことはありません。見たいと思うものが見えるし、聴きたいと思うことが聞こえる。物事の流れに沿った正しい願いが光となって実現していく。それは素晴らしい力です(96-98)

 「いいですか。これは魔女修行のいちばん大事なレッスンの1つです。魔女は自分の直感を大事にしなければなりません。でも、その直感に取りつかれてはなりません。そうすると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。直感は直感として、心のどこかにしまっておきなさい。そのうちそれが真実であるかどうか分かるときがくるでしょう。そして、そういう経験を幾度となくするうちに、本当の直感を受けたときの感じを体得するでしょう。(138)

 「おばあちゃんは、人には魂っていうものがあると思っています。人は身体と魂が合わさってできています。魂がどこからやってきたか、おばあちゃんんいもよく分かりません。いろいろな説がありますけれど。ただ身体は生まれてから死ぬまでお付き合いですけれど、魂のほうはもっと長い旅を続けなければなりません。赤ちゃんとして生まれた新品の身体に宿る、ずっと以前から魂はあり、年をとって使い古した身体から離れた後も、まだ魂は旅を続けなければなりません。死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています。きっとどんなにか楽になれてうれしんじゃないかしら」(116-117)

ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ へ
オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ(190)

映画でも泣いてしまったけど、本でもうるうるきてしまった。まいの育てたキュウリ草は、エンディングに出てくるのだけどキュウリ草って、胡瓜、古い月とかいて胡瓜の胡。久しぶりにいい映画に当たったheart04ほんとうに大事なことを、そして現代人が都市社会で忘れ去っていたサムシングだったり、しあわせのヒントがこの作品は詰まっていますheart04
Nisi


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崖の上のポニョ

来週から『崖の上のポニョ』が公開される。楽しみだheart04

ぼくは鉄腕アトム系列しかアニメ人間をしらないのだけど、この世界はとても狭い。監督たちもキャラがはっきりしているから、やっぱりすぐわかるね。鉄腕アトムも好きだけど、(一応ね)アニメは、宮崎シリーズが大好きです。『崖の上のポニョ』は、おそらく、いい得点がでると思いますheart01

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『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 2.0』

監督 押井守 

夕方の部では、舞台挨拶もあったのでテレビカメラが入っていたり、アニメーターの卵たちだったり満席で、この蒸し暑い中えらく混雑していました。たぶん監督もいた、髪の毛が風にそよいでいたから、あれ、あのお方ですか・・・みたいなwわからないもんだね。

この映画、2.0という名のとおり復刻版、バージョンアップ版、最先端の技術により、映像と音声をリニューアルして再公開している。

 情報化ネットワーク社会においてテロリスト人形使いと対峙するっていうのがテーマで、ゴーストとか魂とかサイボーグとか遺伝子とか、ぜんぜん関係ないんだけどカズオイシグロのクローン人間の小説『Never Let me Go』を思い出した。カズオ・イシグロのほうは移植臓器のため、そして、こちらは、戦争のため。彼らの駆り出される用途は別にしても、それらは我々人間のエゴのための利用物でしかないという点で、キルドレとクローン人間は似ている。『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 2.0』のほうは、さかんに、それじゃ、彼らと我々の共通項、魂、ゴーストはどうなのかという点に踏み込んでいる。人形にだって魂が宿るときがあるwそれもあながち嘘ではない。

 この映画は復刻版っていうのもあって、いかに3Gがどうとか、そっちがメインってのもあるのかな。人間の近未来ということでは、かなり深い内容をテーマにしている。ただ、ぼくはアニメーターではないので、いまいち、3Gがどうとかよくわからなかったけど、ファン層は厚いようです。アトムから一気に、こっちにきちゃったかw
 
 それから、この映画のオチが、なんともwwwやっぱりサイボーグなんじゃんみたいなwアニメだとああなっちゃうんだねえ。ここらへんが少し浅くなってしまうんだね。でも、テーマとしているものは、決して浅いものではない。
 
 記念に「笑い男」のレポート用紙と仇十一のメモ用紙を購入。笑い男がキュートだheart01押井人形とかピンとかいろいろあった、すごい行列だったよw公開初日っていうこともあるのかなあnotes

『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』は8月2日から全国公開shine
Kou

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トムにあいにゆく!

新宿プラザ劇場までトムにあいにゆく!

映画『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』

1980年代に実在したテキサス出身の下院議員チャーリー・ウィルソンが、世界情勢を劇的に変えた実話を映画化したコメディディータッチのヒューマンドラマ。トムが演じるわけだから、それなりの映画になるはずなんだけど・・・コメディ色が強いと思いきや、かなり政治色の強い映画でした。で、、、途中、あまりの睡魔に耐えられず、眠ってしまいました。ああ、やっちゃった。

そういえば、新宿プラザ、電球が7×8。これ、一発でわかったよ!関係ないことだけど。

脱構築映画ってのかなあ、これ、オチがさwww
表彰されたあとに、しくじったなんて・・・どういうことよってわけね。
パンフ見るまで、眠ってたのもあって、え???何よ?そうなるの?みたいな。

要するに、アメリカとソ連の冷戦、そしてソ連の崩壊、ソ連がやってきたことを引き継いだのがアメリカだったわけで、9.11とつながっているわけで、その根っこを作ったのが・・・となるなんて、僕ちゃん知らなかったよ。となると、何というか、日本でいうA級戦犯バージョンってやつ?そこまではいかないにしても、いいと思ってやったことが、最後には大罪となるってさ。転覆状態ってのね。

トムと、40代にのったばかりのジュリア・ロバーツと(ジュリアは3人目を妊娠中らしいけどナイスバディだったよ!)それから、『カポーティ』でインパクトが強かったフィリップ・シーモア・ホフマン。フィリップはアフガニスタン担当のCIAの役なんだけど、どうしても、この人、『カポーティ』の印象が強すぎてwww一発でわかったよ。

そのCIA役のフィリップが劇中で、禅の師匠と少年の話をする。それは、こういう話だったよ、彼は何度かじらしたから、僕ちゃんも眠ってはいたけど、じらされた効果があってか覚えているんだよね。こんな内容・・・ざっとね。14歳の少年がある日、馬をもらった。でも、彼はその馬で落馬してしまって2年間ほど怪我を負ってしまったらしいの。村人は、たいそう悲しんだらしい。禅の師匠は、いつか、どうして落馬したか、わかると示唆したらしいよ。で、2年という歳月が流れて、少年が16歳になって、徴兵があったのだけど、怪我をしたのもあって徴兵をのがれることができた。ぱちぱち。村人たちは、あんだけ悲しんでいたのに、今度は、手をたたいて喜んだという。つまり、過去の不幸は、あとで、幸福に変わる、災い転じて福となるってやつですよ。そのたとえばなしを、トムにするくだりがあるのだけどwww

この映画のオチは、その逆。アフガンのために扮したと思ってやった行為が、あだとなってしまう。これってどうよってことだよね。よかれと思ってやったことが、凶となってしまう。これだってあるんだよね。

映画のオチが、こうなってて、ええ???なによ!みたいなwww

まあ、ほとんど寝てしまったんだけど、要所要所、ヘリコプターを落とすシーンとか、アフガンの難民キャンプの現状だとか・・・政治色が強い中での話なのに、トムとジュリアと、それからチャーリーズエンジェル達の軽めのコメディが入っていて、どうなってんのよ、この映画・・・みたいな。あれ、これってコメディだったの?えっと違うよね、政治家の話で結構シリアスな内容だったよね!みたいなのが、そういう仕上がりにはなっていなくって、要するに、ことばをかえるとSMごっこっての?戦争をしているシーンでも、これって戦争ごっこだったっけ?みたいなノリで、みてしまうのは少し危険。

しかも、カポーティのフィリップがここに加わっているのがポイントで、コメディにさせるもんか!みたいな勢力なんでけど、しかし、ここでシリアスな局面を強くしよとしても、トムで相殺されちゃってね、あれ、なんだかなあ、みたいな映画、コメディなの?トムってひとは、シリアスな内容をコメディにしちゃう。アメリカの良心を描かせたら右にでるものはいないっていうらしいけどwwwトムはすごすぎるや。でも、あれ、トム!ちょっと!最後、なんだよ、それ!みたいなwww笑って終わらしていいのかな。途中、中間をすっとばしているものの、これ、どうでしょう。

それから、パンフにあるジュリアのカクテル、ビンゴ!ああ、出てきたよ!これを観に来たのかな。寝てしまったんだけど、いい映画になるのか微妙です。寝てる時点でだめなんだけど、ただ、描くべきものは、きっちり描いていたように思う。

災い転じて福となる場合もあるし、よかれと思ってしたこが凶になることもある。カポーティとつながってるな。カポーティは結局、よかれと思って突き進んだけど、自滅してしまう、書くことの加害生で自分もつぶれ支えきれなかった。戦争にしても、人間にしても、どこまで突き進んでそれをやっていいのかってことと、結果っていうのは、そのときがどうとかより、トータルでみないといけないのかもしれない。アメリカの良心・・・トムより、フィリップのほうが上なのかなあ、この2人が共演すると、ジュリアもそうなんだけど、味がまざらないんだよ。それぞれが、かちっとした味、それがまざらない、だからいいのかな。交ざらないから科学反応が吉とも凶ともでないのかなあwww

この映画を見終わって、ゴッド・ブレス・アメリカの曲がずっと頭に流れていた。アメリカの国旗のせいだと思う。7つのレッド線。セブン。神の息吹のかかった国。

God Bless America, Land that I love.
Stand beside her, And guide her,
Thru the night with a light from above.

From the mountains,
To the prairies, to the oceans,
White with foam
God bless America,
My home sweet home.
Tom


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躍る大捜査線

Sousa
映画のカテゴリーじゃなくてテレビドラマシリーズだったね。

このドラマで織田裕二役の青島刑事の合言葉がある。
「事件に、大小あるんすか?」
つまり青島刑事にとっては、事件はすべて同じということなのである。我が輩はこの台詞がとてもすきで、なんとなくこれってユートピア的というかさ。でも、この考え方は自分にはかなり伝染してたと思う。

黒人も白人もないし、第1国人も第2国人も、エリートもニートも乞食もみんないっしょ。人類みなきょうだい、LOVE&ピースみたいな・・・・官僚たちは眉をひそめるだろう。階級があってこそ社会がなりたつってものを君はしらないのかと一喝されちゃうかもしれない。

青島刑事は究極的には、人間ってみんな平等なんだよ!大も小さいもってなことを言っていることになるんじゃないかと解釈できる。こういう思想は無鉄砲きわまりない熱血刑事なんだけど、20代だったころの我が輩はえらく共感していた。それでエラク傷ついたかもしれないんだが、ひととおり通過しちゃうと、そういうことを忘れてたなという気持になってもいて、ただ、30代の今だって、その気持はやっぱりこころの片隅にきちんとあったんだなみたいなcat

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チーム・バチスタの栄光

映画 『チーム・バチスタの栄光』

『HERO』みたいな軽さ満点のノリで
でも軽いだけじゃなくて医療の現場だとか
バチスタ手術について面白おかしく描いている。
面白いんだけど、それがオチでしたかthunder

役者1人1人のキャラクターがかちっとしていて
それが、この映画の味を引き立てているようです。

心臓が再鼓動しなかったときの恐怖は
その場所にいないものでないとわからない

心臓の停止=死ということなんだけど(医学的)
犯人の彼はそこらへんをあまりのも軽くとらえていて
やはり映画でも軽くしか扱っていなくNGかな。
要するに医療現場の問題がここではネックなのだが
人間(こころ)が壊れちゃうと・・・要するに・・・

不定愁訴外来をする光景がちょっと変・・・・
これって譬えると『モモ』みたいな存在?
ゆりかごを揺らすような存在?

竹内結子はいい女優さんだなあと思う。
『HERO』で松たか子が担っていたようなポジションで
でもここでは主人公なのかなあ?白鳥君=アベちゃんは
攻撃的な仕掛け人で、マンガに出て来そうなきゃらだなあ

落としどころが、ええ??みたいな・・・映画でしたよeye
Tba

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エリザベス ゴールデン・エイジ

原題:ELIZABETH:THE GOLDEN AGE
2007年/イギリス映画
監督:シェカール・カプール
脚本:ウィリアム・ニコルソン、マイケル・ハースト
時間:1時間54分
字幕翻訳:戸田奈津子

 ~敵は、外にも中にも
 ~そして私の心にも。

女王エリザベス1世=ケイト・ブランシェット、フランシス・ウォルシンガム=ジェフリー・ラッシュ、ウォルター・ローリー=クライヴ・オーウェン

 時は500年前のイギリス、この映画は、黄金時代を切り開くまでに、敵を制し、会いを制し、国を制し、英国と添い遂げた女王エリザベス1世の果てしない戦いの物語である。1585年、エリザベス1世はイングランド女王の座を手にしたものの奮闘を続けていた。エリザベスは、1558年カトリック主義を廃止してイングランド国教会主張となった女王ヘンリー8世の石を継いで、プロテスタントの女王として即位したが、国内にはカトリックを心棒するものが多かった。
 
 即位したエリザベスに待ち受けた最大の問題は宗教問題である。ヘンリー8世によってプロテスタントの国になっていたイギリスを姉のメアリーはカトリックに戻した。当時は宗教が政治の中心にあり、宗教によって戦争が起き、多くの犠牲者が出た。ヨーロッパの歴史は宗教戦争の歴史であるといっても過言ではない。エリザベス1世になって再びプロテスタント国家となったが、エリザベスはカトリックを弾圧するような政策をとらず国家と国民の統合を優先に考えた。エリザベスは宗教問題、とりわけカトリックに悩まされ続けた。エリザベスの暗殺計画や、スペイン襲来など災いが次々と降りかかるが女性王子として彼女は羽を大空に向け、ひるむことなく勇敢に試煉に勝ち抜きイギリスを守り抜いた。
イギリスがゴールデンエイジ(黄金時代)を迎えたなかに、エリザベスの存在ぬきに語ることはできないだろう。

 この映画、ライラの冒険と比にならないくらいのスケールですばらしい映画でした!星は5つ☆☆☆☆☆ライラは2つくらいかな。
 女王エリザベス1世を演じているのはケイト・ブランシェット。もうすごい迫力です。かつらだったり衣装だったり、女王様々の演出もさることながら、女王様の貫録はたっぷりですばらしい演技をしています。
 女王の側近、フランシス・ウォルシンガム役はジェフリー・ラッシュが演じているのですが、この人の迫力はトップクラス。エリザベスの側近として精神面で闘うファイティングマンを演じきっています。
 ウォルター・ローリー(甘い男)はクライヴ・オーウェンが演じているのですが、映画『キング・アーサー』でのオーラがそのまんまで、少し混乱しそうになった。何というか漂うオーラが王様チックである。映画でのローリーは、世俗を象徴する側面があり、エリザベスが選ばなかった世界で生きている。エリザベスはローリーと愛を育む選択よりも英国を導くことに一生を捧げる運命だった。そういった交錯が彼らの演技でよくわかるのだが俳優陣はまさに実力派ぞろい。
 
 我が名は、ヴァージン・クイーン。
 妻ならぬゆえ、主人は持たず 母ならぬゆえ、わが民の母なり
 神よ、この大いなる主にを担う力をわれに与えたまえ

 エリザベスの「私は国家と結婚した」という言葉は、有名である。その処女性と「処女女王」というのは、この映画をみて、ケイトの演技をみて、そうだろうなと思わずにはいられなかった。実際はどうだったかは別にしても、国をかけるとは、これくらいの覚悟が必要だということじゃないかな。人生は常に取捨選択で、何かを得るとは、何かを捨てるということ。一国のリーダーとなり頂点となり英国に寄り添うのなら、一方で犠牲にしなくてはいけないものが当然あるわけですwobbly時代が500年前のイギリスだろうと現代であろうと・・・日本はこのころ将軍様とかってやって、国内でドンパチを繰り広げており、ちょうど時は、安土桃山時代辺りで、イギリスがゴールデンエイジ(黄金時代)なら日本だってモモが山のようになっていた時代があったわけです。安土桃山(1568年~1603年)この時代、日本は、織田信長と豊臣秀吉が天下人として日本の統治権を握っていた(織田政権・豊臣政権)時代で、日本の歴史の時代区分の一つ。将軍様・・・・日本だって黄金時代をちょんまげ将軍たちが繰り広げていたわけでして、女性は十二単なんていう衣装を身にまとっていたのかな。そう考えると女性の衣装は、双方とも床をずるずる引き摺るものであって重いということでは一致しているか@ただ、この映画を見ると、ヨーロッパ(西欧)との違いを突きつけられた気がしてなりません。とりわけ、宗教戦争ということがテーマなのですが、日本にキリスト教が入ってくるのはずっとあとですし・・・・しかし、現代を見るに、時代はそのときから考えるとボーダレスに向かっていて飛行機なんてのもできちゃったし・・・500年前って・・・どうでしょうか?flair

シェカール・カプール監督:インタビュー(パンフレットより)
*『エリザベス』からこの作品までに、なぜ9年もかかったのですか?
 9年かかる運命にあったということだろう。しかし、今思うと、今回のエリザベスが直面する扮装は、今日のテロリズム宗教原理主義に非常に通じるものがあり、とてもタイムリーだと思う。政治家たちも、最近ますます「神」という言葉を多用するようになってきた。民主主義で選ばれたはずの政治家たちは、大衆のためではなく、自分たちの利益のために動いている。

*一国のリーダーとしてすばらしい力を発揮するエリザベスは、一方で、母、妻であるということを体験できませんでした。そのあたりも、原題の働く女性に重なるところがあると思いますか?
 歴史を振り返ってみてわかるけれど、女性の権利が認められたのは、ごく近年のこと。ヨーロッパやイギリスですら、最近まで女性は男性の所有物とされていたんだ。驚くべき事実だよね。それが最近、女性はパワーを持つようになり、職場で活躍するようになっている。そのために起きる問題というのも、当然出てきた。まさにエリザベスがそうであったように。

*この映画を作る上で、歴史に忠実にすることには、どれほどこだわりましたか?
歴史とはそもそも、解釈だ。何年かに1度、誰かが歴史を解釈し直した本を書いたりするが、僕も、すでに何百人もの人が解釈した素材を使って、さらに僕なりの解釈をしただけ。

 スケールの大きい映画で娯楽映画とは一線を画しているオーラの漂う作品です。映画の総合的な評価はかなり高いんじゃないでしょうか。女性が強く逞しく生きることのパワーを示した映画でもあり、一方で、その孤独と苦悩をきっちり描いていて秀作ですflair
 
 それからエリザベス・ゴールデンエイジと現代そのまんまのタイトルなんですが、これは黄金時代って訳すのもありだったのでは?前回、奈津子さんのものではマリアを観ましたが、原題はThe Nativity Story、これをマリアってしちゃうんだもんなあ。エリザベス・ゴールデンエイジで今回はきちっとゴロをそろえたねなんて友人は言っていましたが、黄金時代ってするよりこれでよかったのかなあ。

 映画のみどころはエリザベスの装飾とヨーロッパの建物だったりかな。衣装とかつらはシーンごとにくるくる変わる。レインボーカラーぐらいのお色直しと頭のかつらだったりがいろいろ見て楽しめます。さすが一国の女王、衣装のパワーもすごすぎます。しかし、そうはいっても、かつらを外して素顔のシーンが、いちばん美しいと思いました。印象的なシーンでは占い師に自分の運命を見てもらっているところと、ベスの赤児を抱くシーンでのエリザベスのまなざし、それから、カメラがくるくる回るのに静止したままの女王エリザベス。あれ、くるくる回るように撮影しているのは、見せ方としては、すごい手法だと思う。
E

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ライラの冒険

ライラの冒険
His Dark Materials
監督:クリス・ワイツ
原作:フィリップ・プルマン

Raira

イギリスの作家フィリップ・プルマンが書いた三部作の冒険ファンタジー。第1部「黄金の羅針盤」(1995)、第2部「神秘の短剣」(1997)、第3部「琥珀の望遠鏡」(2000)で構成される。黄金の羅針盤は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのニューライン・シネマが次に仕掛ける史上最大のファンタジー・プロジェクトで総製作費250億円を投じて映画化された。

12歳の少女ライラは、現実とよく似たパラレルワールドに住んでいる。そこで突然、周りの子供たちが次々に行方不明となる事件が勃発し、ライラはダイモン(守護精霊)とともに捜索に乗り出す。真実を示すという黄金の羅針盤とともに。

ダイモン=人間の魂が肉体外にあらわれたもので分身のようなもの。
デイモンは悪魔と訳されることが多いのだが、超自然的な存在であり守護精霊としての役割を担っている。
 
パラレルワールドとは、ある時空から分岐し、並行して存在する別の世界を言い並行・平行世界とも呼ばれている。私たちの住む地球以外にも、さまざまな世界が無数に存在しているはずだというのがパラレルワールドの考え方で、無数の3次元世界が互いに干渉することなく、平行に存在しているということ。科学的には証明されていないのだが、SFではおなじみです。パラレルワールドが存在する可能性は、物理学者から数学者、天文学者たちの興味をひきつけてきたものの、その存在は今のところは証明されていない。ただ、このパラレルワールドが、単なる空想の産物とは言い切れないということは粒子物理学的に明らかにされつつあるようです(?)

 ニコールキッドマンのダイモン(守護精霊)黄金のサルに注目。ここではね、主要人物たちは、ほとんどダイモンを引き連れていますよ。粒子がパラパラと粉になって舞うという映像は、ロード・オブ・ザ・リングの2番せんじのようで、魔法だとか、子ども達の寄宿舎とか、いかにもイギリスチックで、ファンタジアンが観てしまうと、またこれかあというシーンが満載ですwwwこれはこれでいいんですけどねえw

 ダイモンを動物に投影しているため、「ええ?何が?」「パラレルってそれ?」みたいな軽さがあるのですが、こんなもんかなあ。この作品が描いているもの、デイモンだったりパラレルワールドだったり、いかにも児童文学ですみたいなところにも何某らのメッセージは隠されていて、それを読み解かないでただみていると、うーんといったところかなあ。ナルニア物語とか指輪物語にしてもそうなのだけど、ハリーもそうか、魔法の世界とパラレルワールド、ファンタジーではおなじみっていうのかなあ。
 
 黄金の羅針盤とともにライラは冒険を進める。どんなことにも恐れることはない。針の指す方向に突き進むだけ、ライラの勇猛果敢な姿は確かにすばらしいしのだけど、これはだめだと思ったのは、熊のファイティングシーン。動物を動かすって何だか変だな、無理がでるわけでして、これもパラレル世界を描いた産物なのでしょうが、映像で見せられるとあざとさが目立つようです。下手したらただのプロレスごっこ。ニコールキッドマンももったいないな、確かに美しいのだけど空っぽの女性で黄金のサルをかかえて、子供を手懐けようとするいじわるオバサンなだけです。匂いたつ美しさも空っぽなだけって、ありーの(?)そのぶん、サルが頑張っているのですが、どうなんでしょう(?)

 この作品に込められたメッセージとか無視すると、『スパイキッズ』をみたあとの余韻しか残らなかった。うーん、期待しすぎちゃったのかなあ。パラレルワールドの映像化って、デイモンで魂を分岐することで演出しちゃうとここまで軽くなってしまうのかあという感じで、少しもったいなかったです。映像の限界がここにあります。

 ダイモンって守護霊=悪魔=魂
 私はそう解釈したのですが、動物がそれを担うと少し無理が出ちゃうね。パラレルワールドをわかりやすくする目印にはなるのだけど、うーん、どうでしょう(????)

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アニー・リーボヴィッツ

ANNIE LEIBOVITZ
Life Through A Lens

Ann


『アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生』ドキュメンタリー
2007年アメリカ
83分
生きるように撮り、撮るように生きる。

女流写真家、アニー・リーボヴィッツのドキュメンタリー映画。このドキュメンタリーには、数多くのアニーの撮影現場が記録されている。彼女に撮られたセレブたちの証言などからなる。ジョン・レノンとヨーコの写真でこの人物を知ったのだが、その他にも、デミ・ムーアの妊娠中ヌードの撮影や斬新でアメリカの代表的な写真を数多く手がけている。女性が社会に進出し、認められて、生きることとは、どういうことなのか。報道と芸術、その両キャリアにおいて天才として活躍した栄誉の一方、ドラッグ、同性愛、50歳過ぎでの出産と、栄光の後ろにあるもの、付随してきてしまうものも、このドキュメンタリーは語っている。

被写体の向こうの人生と融け込むことはどういうことなのか。
アニーは、まっすぐに、他者の中に貪欲に入り込み、セレブたちを裸にする。写真は一瞬の芸術である。そして、それは嘘をつくことができない。

 一瞬のなかに永遠がある。写真のなかに、被写体のなかに、裸の姿があり魂がある。
 一瞬たりとも人生は同じ姿をしていることがない。常に移動し続けている。見える景色も同じ景色は一度としてない。

 このドキュメンタリーの献辞2007年に亡くなったアニーの母へとされている。アニーは今現在59歳。あと1年で還暦を迎えるわけだが、このドキュメンタリーとともにアメリカの時代的背景がきちんと見えてくる。

 アニーが成功した秘訣は、サンフランシスコからニューヨークへと拠点を移したこと。師をもてたこと、セレブたちと波長を合わせて空気のような存在になれたこと、戦争での被写体を経験できたこと、貪欲な精神・・・。一方、アニーの天才的な才能は時として命取りになったわけで、彼女は被写体に融け込む術があったからこそ、アニーを挫折に追い遣ったともいえる。空気のような存在になれるということは才能である一方、時として命取りなのだ。相手と同じ波長になり、被写体と融け込むとは、それだけの覚悟がいることである。ただ単純にセレブたちのミーハーな写真を撮っただけの写真家ではない。
 強く新しく自由に生きるということ、アニーの生き方は現代を生きる女性のエールになるだろう。アニーはこれからも進化し続けるだろう、つよく、たくましく、しなやかに、まだまだグレードアップしてくれるんじゃないかな。少なくとも、まだ還暦まで1年あるしね。そのあとは、焼き直しみたいになるのかな。でも、アニーはもう華やかな世界には飽き飽きしているし、アニーはミーハーなだけの写真家じゃないんだよ。
 
 ブレイクの詩を思い出していた。一瞬のなかに永遠があるんですよ、だから、映像ではなくて写真がいいだなんてねheart

William Blake(1757-1827)
Auguries of Innocence

To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour

 写真のすごさを知る一方で、一瞬のなかに永遠なんか閉じ込めたくないなという気持も沸いてきてしまうわけで、永遠に止まった時間、それはこちらの世界とパラレルに存在するあっちの世界みたいじゃないですかchick

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血と骨

血は母より骨は父より受け継ぐ-。

この作品がすばらしい!とあまり表向き言っていなかったと思うが、たぶん、ベスト3に入る。本で読んだほうがやっぱりいいのだけど、映画のほうもよくできている。

この作品は、激動の大正・昭和を生きた朝鮮移民とその家族の肖像を描いている。ヤンソギルの自伝的小説といわれており、主人公の金俊平は、ヤンソギルの父親がモデルとなっているといわれている。在日一世として裸一貫から身を立てるも、女狂いや、狂気じみた言動は天下一品で、生涯を孤独の中に生きた男として、時代に翻弄され生きた姿を描いている。小説は、息子の視点から語られているのだが、映画のほうは、要所、要所きちんと抑えていて、すばらしい仕上がりになっている。何度見ても、この父息子は狂気じみていて、父殺しというテーマは、シェイクスピアの時代から、描かれていたわけでして、金俊平という男の姿は、あまりのも凄まじく極端すぎる。

映画のほうは小説バージョンのものが圧縮されていて、脚本も考えられているし、キャストがすばらしい。ビートたけし、鈴木京香、オダギリジョー・・・などなど。そういえば、オダギリジョーのことを好きになったのは、この映画をみてからだと思う。オダギリジョーは『パッチギ』にも出ているが、あれはマヌケすぎるが、この作品はオダリギリジョーの俳優としての運命の岐路になったように思う。ビートたけしに食われていない。

何度みても、うるうるきてしまいます、時代だよ、時代。
要所要所、う?なんだ?というところがあるが、
しかし、何度見ても、豚の屠殺のシーンが
しばらく頭から離れないのであります。
豚肉なんか、これ見たら、何週間か食べられない。

この小説と映画で、ヤンソギルの凄さを知った。『月はどっちへ出ている』ではだから、何?みたいな感じだったけど、やっぱりヤンソギルはすごい。

ヤンソギルに関しては、実物に会ったときに、作品と実人物のギャップに悩まされた。こんな作品を書くのに、実物のヤンソギルはあまりにも実直でおとなしかったというのがあって、思い起こすと、大江健三郎よりも、ヤンソギルのほうが、衝撃は大きかったような気がする。作品はすべて魂が凝縮されているなら、ヤンソギルは亡骸にすぎないわけだからオトナシクテ当然だとしても、あまりにもそれはすごかった。大江健三郎が、『万延元年のフットボール』の100年を描いたのよりも、ヤンソギルが、この作品に込めたもののほうが自分自身と密接した関係だってことにすぎないのだけど、その後の作品をみても、この『血と骨』が頂点に君臨するだろうclover

小説は小さな説という漢字であるが、スモールの説、個人的な架空の絵空事だなんて、そんな悠長な小説の定義は、どこのだれがしたんだ?って、そんなスモールなものを打ち破る作品である。映画のほうは、エンタテイメント性も色濃く出されていて、よくできているねleo
Titohone

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12人の怒れる男

12人の男ばっかり出てきて
ナンダヨ、この映画さあtyphoon

しかし、名作だけあって、
何度か、時を置いて見ると
これは、やっぱり、いい映画だ。

お気に入りのベスト10には
ランクインするのではないかと思う。
DVDはお気に入り映画の中に入れている。

怒れるときは、その怒りを徹底的に考えてみようじゃないか。
Ika

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Life is like a box of chocolate

Life is like a box of chocolate
人生はチョコレートの箱みたいなもの

Forrest: My momma always said "Life is like a box of chocolates. you never know
what you're gonna get."
ママが「人生はチョコレート箱のようなもの。開けてみるまで何が入っているかわからない」ってよく言っていたんだ。

この言葉、ある意味、自分のなかで座右の銘の1つです。
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フォレスト・ガンプという映画の中で、フォレストガンプ(トム・ハンクス)が言った言葉で、映画の冒頭の台詞です。人生、開けてみなくちゃ、やってみなくちゃわからない。だから一生懸命やろう。まずは食べてみようという言葉です。

フォレスト・ガンプの映画を見たことがない人がいましたら、是非是非見てください!

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この映画はフォレストがある日、突然、走りだして(マラソン)ある日、突然、走るのをやめてしまうというところがあって、マラソンを走る柳さんとだぶってしまって柳さんにも贈った映画です。でも、人に、映画を押しつけたり、ラブレターを押しつけたり、人と無理矢理会ったり、結局、いつからかパタンとやめてしまった。

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どうしてだろう、いつからか、ぱたっとサイン本やらがオクラユキとなってしまったのだろう。大江健三郎のあと、そのあと、だれか衝撃的な人がいただろうか。万延元年のフットボールより、結局、思い出すのは、大江健三郎のほっとなてのぬくもりなのに@でも、ぱたんとチョコレートを食べなくなってしまったのは事実。

忘れていて思い出させてくれたのは、転た寝をしたときに見た夢。ちょうど、バレンタインデーの神様のボートの運航の前に、うたたねをしていると、柳さんが夢に出てきました。どんな夢だったのか、さっぱり今では思い出せないのですが、柳さんとの出会いが節目だったように思います。では、どのように、どうだったか?

たぶん、きっと、わたしは、その三角形の世界に破壊されてしまったのだと思う。作品がすべてであるのなら、その三角形はどうでもよく、要するに悟ったわけですが、それと同時に、破壊も同時にあっていい節目になったと思っています。よくいえば、還暦の花がさいたということ。結局、言葉のもつパワーは武器とはいうけど、それは狂気であり凶器であるということに気がついたからだというのと、あまりにも多くの人と気軽に会いすぎてしまっていなかっただろうか、その魂の奥の部分まで届いた人は、どのくらいいたのだろうかと自問してしまったのです。

私には間違いなく決定的な作品となった。それだけだったのです。しかし、柳美里さんに会ったときの衝撃やら、自分自身のゴールみたいなもの、それを過ぎると、論文完成やらいろいろやって終えてしまうと、生きた人には会っても、意味のないことだと思ったのです。それを引き合いに出すのならテレサ・ハッキョン・チャも登場させないと説明にならないのですが、テレサ・ハッキョン・チャが死亡してしまったことで、なぜチャだけ評価される対象になるのか、私には、生きた人間も死んだ人間も、どちらの作品も同等なんだよ。しかし、学会のほうにしても違ったのか、そうだとしたら、作品が遺品とするなら、ワタシハ少し変なミーハー根性だけだったのか。君は少しヘンだよ、こんだけ集めてどうするの?もう十分さ、君はとwww

ソウセキセンセイに会ったときはともかく、夏目漱石とソウセキセンセイ、時間の止まった人物と、同じ時間を生きた人間、どちらのほうがいいのかと。チョコレートを眺めているのと、食べるのと、どう違うのだろうっていうようなくらいのレベルかもしれませんがw

みえこさんと会ったとき、生きた人間に会えるのは生きているうちじゃんかと思いました。わたしにとって、だから、みえこさんは、とても、人生のなかで大きな意味をもつ作家になると思います。

やあ、こんにちは、フォレスト、フォレストガンプ。一期一会という映画の言葉の意味を、みえこさんと会ったとき思い出しました。これでよかったんだ@

みえこさん、ありがとう。歯のほうは、ラフ作品だったのかなあ@これもご愛敬。たとえ、それが、ちょっと違う味がしても、チョコレートだからまあいいや。

それはそうと、フォレストガンプが好きだったってこと、忘れてました@神様のボートに乗っていれば、結局、いつか会えるときにひとは会えるものかもしれないね。

フォレストがぱたっと走るのをやめるように、わたしもぱたっと何かが変わってしまった。フォレストは、きっとマラソンをやめても、またチョコレート食べて生きていくのだろう。フォレストガンプの子供も同じ名前でフォレストガンプだ。しょうもなく、また同じ事が繰りかえされていく、形を変えて@それでもいいじゃんと思える。

君は、どんな男性がタイプなのかい?
これから即答しようと思う。タイプの男性はトムハンクスなんだ。
Fg

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スウィニー・トッド

St

スウィニートッド
~フリート街の悪魔の理髪師~
原題:Sweeney Todd: The Demon Barber of Fleet Street

R-15映画
ジョニー主演
http://wwws.warnerbros.co.jp/sweeneytodd/

第65回ゴールデングローブ賞にて、作品賞(ミュージカル・コメディ部門)
主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞作品。

19世紀のロンドンを舞台にしていて、ジョニーが演じるベンジャミン・バーカー(のちスウィニー・トッド)は理髪店を営んでおり、美しくてかわいい娘と幸せな生活を送っていた。しかし、その幸せは、悪徳判事により、いっきょに奪われてしまい、無実の罪を着せられたベンジャミン・バーカーは15年の投獄を強いられる。
 妻も娘も奪われた彼は、もはや、昔の幸せなベンジャミン・バーカーではなく、復讐のために脱獄した、復讐鬼、悪魔の「スウィーニー・トッド」と化して再生する。

 15年の復讐劇、スウィーニー・トッドの逆襲のはじまりはじまり。
 
  ジョニーは会見で、殺人鬼を演じた際の気持ちを聞かれ、「スウィーニー・トッドを邪悪だとは思わなかった。彼は被害者だ。判事によって自分のすべてを奪われたとき、彼は死んだのだと思う。その後の彼は復讐のためだけに生きていた」と応えている。

 そう応えないと、彼の役者人生だってさ、いろいろあるでしょう。ある意味、そう思わないと、こんな役やっちゃって悪魔に取り憑かれたジョニーなんて汚名がハリウッドで流布したっておかしかないでしょう。
 第一、人生のお友達、大事なシルバーカミソリで、無差別の首斬りというのはいただけないし、ストーリーがコメディータッチなところとか、筋が通っていないところが多すぎます。ティムの展開は、もうこうなるのはわかっていても、この映画は、たった1人の人間のための、つまり、復讐劇を繰り広げるためのジョニーの演技は必見です。
 ただ、15年の復讐劇のモチベーションは、『オールドボーイ』のほうが、断トツ上です。ハリウッドってネタ切れだってよくいうけど、ここまで陳腐にしちゃって・・・みたいな。

 仕事明けで1回目で途中で大事な1コマを寝てみていなかったので、2回、見てしまったんだけど、どうみてもコメディーでおもしろいんですよ。例えば、なんで復讐されるほうと復讐するほうがハーモニーになってはもっているんだ?って笑うしかないです。
 あと、この映画は、スウィニートッドただ1人のための映画だと言えるんだけど、いちばんいただけないのは、ベンジャミン・バーカーの妻です。美しくてかわいい不運の馬鹿って、こういうこと?それ以外にも周囲の人間は、お肉の周りにある飾り役でしかありません。
 この映画の弱点は、復讐劇を1つの視点から主軸のみからしか捉えていないところで、傍役は死ぬまで傍役ってところです。これシェイクスピアの視点もこれですけど、これじゃ、ちょっとだめだよな。それにばっさり斬りすてら19世紀のロンドン、つまりイギリスが天下をとっている時代?つまり主役は主役、傍役は傍役、そういう時代だってことで、舞台にもその風潮が如実に表れている時代ってことで・・・とりわけ、ここで登場するみじめな傍役、捨てられて斬りすてられ、ミートパイになってしまう人たちが、あまりにも悲劇すぎやしないでしょうか。19世紀のロンドンはもはや主流ではないはずです。ただ、この映画が、19世紀のロンドンの姿とか、弱肉強食とか片づけられない人間の滑稽な姿を象徴しているようでもあります。
 ハリウッド映画にしちゃったという地点で、ポップコメディーミュージカルにカテゴライズされてもいいのですが、映画にするには、主人公なんて1人でいいのがいいにきまっている。
 『スウィニー・トッド』というタイトルだけに、主人公はたった1人、彼だけのために映画が回っているわけです。奈落の底に落とされた善良な人間、ベンジャミン・バーカーが、落ちるとこまで落ちてしまい復讐のためだけにスウィニートッドとして再生する。
 一人の人間の讐劇をここまで美しく楽しく仕上げちゃうのは少しやりすぎです。
 ミートパイは弱肉強食の、やるか、やられるかの現代社会の象徴でもあるし、スウィニー・トッドは、誰の心にも潜む悪魔ととらえることもできるんじゃないでせうか。

注:Sweeney Todd=固有名詞
 スウィニー・ドット?あれ、これトッドね。しかも固有名詞。逆襲をくりひろげるためだけに再生した男の名前。ベンジャミンは死んじゃったってこと。固有名がかわると人格がこうも変わるか。実はこれ、自分は、甘い斑点=甘い血液=吸血鬼でも登場か?と思ってみたけど、内容はわからないでみたほうがおもしろいかな。ネタばれで見ても楽しめるだろうけど、突っ込みたくなるシーンとか映画のアラが見えてしまうんかもしれません。カンのいい人はすぐにわかってしまうかもしれません。

 気分転換になるのか、すかっとするのか、ただ復讐劇につきあわされて疲れるのか、ビミョーな1作品となりました。2回続けてみてもおもしろいってのはwww

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魍魎の匣

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これは、京極夏彦の長編推理小説・妖怪小説。京極堂シリーズの第二弾。第一弾よりバージョンアップしてるんじゃないかな。

好きとか嫌いとか、そういうレベルを超えているっていうのかな、かなり気分転換になる映画です。

お化け屋敷にはいって、わー怖い、でも出てきたら、あれへんだな、すっきりしたーみたいなかんじかなあ。こういう妖しさは、京極夏彦以外ないね。ここまでやっちゃうから、要するに突き抜け過ぎちゃっているからおもしろいんじゃないかな。

この映画は、キャストたちがとてもいい味をだしていて、本で読んだときとは、また違ったよさがあるね。


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