徒然草

満月の夜に

満月・大潮 今宵、月の北方にアルタイルがみえる。

曇っているから満月は隠れている。このタイミングで、午前中、あるものが手元に届いたsagittariusこれは、ぼくがだいぶ悩んでいたもののキーを説く重要なものであるfullmoonゴールデンボールだfullmoonそれfullmoonこの2-3日、返信について、どのくらいの内容を盛り込むか悩んでいた。さらっとしたもの、深く掘り下げたもの、半々のもの、3パターンくらい作って、最終的に堂堂の満月タイプのものは出さなかった。でも、もっと掘り下げて入るべきだったのかもしれない・・・

その問いに対し、最初から裸になってすべてあけすけにいくべきだと自分は思う。嘘はつかないが、多くを語らないとなると、相手は、これどうよとなるわけだ。じゃあ、そこまた聴いてきたら、ちゃんと答えるというふうになるだろうが、ここがクセモノデ、もしこちらがOPENにいったとしよう、相手にそのOPENしたものなんかを受け取る準備ができていないのなら、ただぼくがあけすけになって裸になって、これは裸ダンスというのだろう、困るんじゃないかというシチュエーションは数多く体験してきた。なんせ、ぼくは、そういうところがあって、だから、ここんとこだいぶクールというか、スラムチームのときもふくめ、場に合わせた空気、それは、少し遠慮したほうがいいと思っていた。自分をよくみせたいとか、かっこつけたいとか、そういうプライドも混じっているかわからないけど、もう、ぼくは、だいぶ取っ払われたところがあるのに、だから、そのまんまでいっても十分OKだというのもわかっているのに、ぼくは、掘り下げるところのものまで出せなかったtyphoon寝かしつけた効用は、一歩下がるという結論だった。

もし、それが、☆氏にたいしてだったら、ぼくは、真正面から裸でいったんじゃないかと思う。ぼくは、この夫妻の裸のところを知っているからだ。ほんとうは、ぼくは、最初っから裸になってしまいたい。たとえば、温泉とかいくじゃない、女子は、隠すひとと、堂堂としたのといるけど、ぼくは、隠してじらしてるのが、ちょっと違う、しかし、だからといって、たとえば、ぼくが満月だった場合、堂堂としていたかというと、それはどうかと思うし、第一、大衆浴場にすら駆り出さないだろう。ぼくは、大衆浴場で、自分自身の裸を隠したいっていうのではなく、実は、最初っからさ、最初っから、これがぼくのすべてですから、とかっこよく行きたい。これは日常面での比喩をいうのだが、しかし、おおむねは、あたりさわりのない洋服をつけた姿から入るわけだ。もしかすると外郭だけでいいのかもしれない、あの色だったかしら、きょうはGパンだったかしら、いや、フレアースカートよりミニスカートかしら・・・。

ぼくは、なぜ、やりたくないパターンで行ってしまうのだろう。そう考えてみたが、たぶん、ぼくは、相手の背広を着たかっこいいところしか知らないからだ。相手の洋服を着た姿のかっこよく決まった部分までしか知らないのなら、じゃあ、ぼくもね、あなたと同等の、ぼくも洋服をきてかっこいいところだけで、とりあえずどうですかと、計算っていよりも、これはバランスをとっているだけなのだ。

ぼくは、知らないうちに、どうやってうまく生きていけるのかという、その取り繕った世界に慣れてしまったようである。まあ裸になるのならいつだってなれるんだよ、けど、裸になってから服を着るってあんまないでしょ、そうなったら、もう、あれ・・・・(省略)ぼくは、相手がどう受け取っただろいうというのも計算にいれている。いつもなら、そんな計算しないんだよ、今回は、3日も寝かしつけて発酵させる時間があったから、わかるんだ、シミュレーションしているから。けど、これは本来のぼくではない。ぼくは相手がどうとか、こうだったら、ああだとかあんま計算しないんだから。軽はずみっていうか、そんな慎重になってどうなんだろうっていうかw

ぼくは、なるべく1・1なら、本当のところで、入っていきたい、もう少し掘り下げたところから、外の枠だけのぼくでないところから入ってもらうことを考えているけど、なかなかそういうのってないじゃん、ならしかたないよ、ぼくは、ただ、ばかなこでいるしかないねtyphoonまあ、ぼくも、そういうの慣れたから、案外平気なんだ。シリアスなこと言って、相手に、どんだけよ、おまえ!みたいに驚愕されて引かれるより、あいつは、まあ頭のよわい馬鹿だからと空気みたいな感じで思われるほうがいいときもあるわけですtyphoonどんだけゴーストの練習してきたんだろうcatぼくは、隠す技術をだいぶ習得してしまった。

満月だって隠れるときがあるんだfullmoonでも、いいよ、ぼくは、その見えないところを見てもらうつもりでいるし、相手の見えないところが見えているし、おおむねのところは、直感でわかるとこまでわかるんだよfullmoonあえてそれは、言語化されなくてもいいときがあるtyphoonただ、満月が見えなかったからといって、それがないわけではないし、雲がいつかどけば、それは、明らかになることなんだからfullmoonほんとうは、最初から暴走的に、つまり、もうちょっと真剣勝負のとこで行きたいけど、たぶん、ぼくのこの1年の大きな成果は、余計な雲がどこでどう出てきてっていうやつだcatでも、それ以外のこともだいぶあった、やりすぎちゃって、いくとこまでいくから、反り返った空気のとこで停止してしまうというケースspa不発弾ってのもありだよdiamond

満月の日は、大潮だから、黄金の月がでていなくても大潮でわかるからそれでいいtyphoonそれなのに、ぼくのこの気持ち悪さはなんだろうwobblyまあそれが人生だfullmoon

あっ、ぼくは、それ、いくつか????なんだよこいつ!みたいなのを含ませた。うん、それがわかってもらえたら、それでいいやwただ脱線してるんではなく、それは伏線だからさimpactやっぱみえてるなぼく、だめだ、こういうのはよくないfullmoonそれfullmoon

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人間万事塞翁が馬

小僧がもってきた小冊子には、青いしょうぶの花に黄色のモンシロチョウがとまっていた。裏表紙の画は、富士山があり、松のような形の入道雲があり、橋がかけてある。6人の村人たちが、それぞれに何かをしている。ああ、この画、たぶん、北斎じゃないかな・・・・全部で36あったはず。これ、やっぱりそうだった。場所は神奈川県からみえた富士山なのか。相模平野の真中にあったのが仲原で、この辺りは「風景良し、富士見える」箇所らしく、裾野まで見える優雅な富士とそこに暮らす人の絆が描かれている。東南の富士山だよ、そして、この画と馬はシンクロとなっているわけだが、それよりも、この画をみる数日前、某所の新製品のモデルとして活躍したのはFUJIっこ・・・つまり、ぼくはFUJIの新商品のモニタ体験モデルなわけですが、(たぶんショットで採用されるだろう、一般紙にデビューだよ)あえてシンクロなんてことばはで表現するのは間違っている。これはパズルの埋め合わせ作業。神経衰弱でもないの。馬は、鳥と並ぶくらいの出場頻度だ。その馬が何を言おうとしているのか、人間万事が塞翁が馬ということわざに集約されるだろう。ぼくは、だから、あそこで手痛い一撃の槍をうけているわけだが、ただそれを言葉にしてここでお披露目するのは省略する。たぶん、それらを言葉にしてしまうと、何の値打ちもなくなってしまうだろう。

 「・・・じゃ、今、あなたが読んで入らっしゃる所を、少し話して頂戴。どんな面白い事がでてくるか伺いたいから」
 「話しちゃ駄目です。画だって話にっしちゃ一文の値打ちもなくなるじゃありませんか」(『草枕』115)

 駄目という文字には馬がいる。いま体験している、面白いそれらを実況なり話すと、それは値打ちのない薄っぺらなものになってしまうというだけでなく、言葉がデジタルだとするなら、いま起こっているのはそれに置き換える以前のもっと壮大なサムシングなわけで、デジタルとアナログの対決っていうのでもないのだが、言葉はある意味、デジタルとしよう。聖書なんかだと、光があって言葉があって、という順なんだが、世界は言葉ありきなのかっていうところにもかかわってくる。ただ、言葉で世界を規定できるのなら、それは、ある程度、自分なりに合わさったらだと思う。まだ、あんまりにも中途で、もうそろそろだと思っても、次々何かが姿をあらわす、そして、それらが指し示すものを、そのつど知るわけである。だんだん、それは、進んできていて、まだとにかく集めきっていないということである。重要人物には、来月の七夕過ぎにあうわけだから、だから、ぼくは、そこまで到達するのも、まだまだ先ってことになるのか。
 
 はてはて、塞翁が馬。このことわざは、チャーリーズ・ウィルソンズ・ウォーに挿話として出てくるんだが(寝ていたし、映画の内容もほとんどぶっとんでいるのに、この挿話を覚えているところもすごいけど、いつものあれだよ、肝心なところで、ぼくは必ず、目が覚める)、ここでは、すべてがみえている禅の和尚として話が進められていたと思う。

 人間の吉凶はそれぞれにつながりあっている。すなわち、災いは知らぬ間に福に変わり、福もやがて災いに転じる。言い換えると、日は昇り、日は沈む。月は満ち、月は欠ける。満ちた月は、欠けてゆき、欠けた月は満ちてゆく。

 昔、中国北方の国境にすむ老翁が買い馬が隣国の胡へ逃げていったので、村人がたいそう同情した。すると、老翁は「そのうちにいいこともあるさ」といって悲しむ様子がない。
 そして、数ヵ月後。その馬がひょっこり隣国の駿馬をつれて帰ってきた。村人は幸運を喜んだ。すると、彼の老翁は「いやな予感がする」といってうれしそうな顔をしない。するうちある日、息子がその駿馬にのって落馬し、ももの骨を折って足が不自由になってしまた。村人たちは気の毒がって見舞いにいくと、老翁は「いや、悪いことばかりではないよ」と平気でいる。
 ところが、それから一年後、隣国である胡との間で戦争が始まる。身体が健康な壮年の男子は皆招集されて、ほとんどが戦死してしまった。しかし、老翁の息子は足が不自由なために生き延びることができた。
 そして老翁の息子は戦後の国の復興に大活躍することになった。(小冊子抜粋)

 この物語は、古語の「禍福は糾える縄のごとし」とあるように、災いと福が原因となり結果となってめぐってくることを指摘している。
 だから、ぼくは目先のことに一喜一憂する必要もない。それを、話したいんだ、でも駄目なんだよ。たとえば、どんだけぶっとんだことが、いま進行しているかなんてことなんかも、まだ駄目なんだ。

 ぼくは、その日、どうしても、「けんちん汁」を作って飲む必要があった。
 そして、その「けんちん汁」を作ってのむと少し気持ちが落ち着いた。
 基本、ぼくは、外食はしない人なんだけど、ただ、家でごはんを作って食べるからっていうわけではなく、そことつながる必要があったからだ。

 それらは、少し区切りがついたら、また自分なりに整理してみる必要がある。

 きょうあったこと。それがみえたんだよ、だから、わかった。でも、それはシンクロではない、ただの予知といわれるのかもしれないが、観えていたの、それがそうなるということ、おこるだろうということ、だから、少し先の未来くらいなら見えるし、直感っていっちゃそれまでだが、それは、天から突き刺す声のようなもの、というより、それは瞬時なわけだから、どうしても、どうしてそれができたのか、説明ができない、自分自身もびっくりしちゃうんだよ、とにかく、いま、つれきたよ、あれをさ。たぶん人間は、自分の見えるものしか見えていない。まだ、ぼくは突き進んでみえなかったものをみえるようにする必要がある。それらにつつみこまれながらでも、それが進行される必要がある。何しろまだそろってないんだ。ゆえに、これらを途中の段階で話すのは駄目なんだと思う。というより、それらを言葉に置き換えることができないっていう事態がいま起こっているわけである。ただ、ぼくは完全な沈黙を貫くことはできないから、適当な言葉がないんだけど、とりあえず、きょうは塞翁が馬について小冊子をめくりながら、書いてみました。


 世界はひとつだ。それらは、最後に、すべてつながるだろう。

typhoontyphoontyphoontyphoontyphoontyphoon
  ぼくは、あの渦巻きの絵から、ここまで、ようやくたどりついた。
  富士山は、みえている、でも、富士山まで到着しないと、それについて書いては駄目なんだ。もどかしいけど、それでいいのかもしれない。おーけーぼくじょうには馬だっているはずなんだから。
Nakahara

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無病息災  

ピカサ更新

オープンアームズのハニーに、ピンクの鈴つき6ひょうたんが加わりました。
無病息災のひょうたん招福。6根(目、耳、鼻、下、身、意こころ)の病から身を守ってくれるひょうたんです。サイドのほうには厄除けの鏡がついていて中にはクリスタルが入っていますheart04

マイハニーはこれで大丈夫だheart01フォー、4、ヨンさまの4、よんちゃんのよんvirgo

梅ちゃんも一段落つきましたし、さてさて、明日は夏至、ついに夏の到来。ひゃあtyphoon
時間に自分がついていっていないような気がしているんだけど、春がこれで終わりってどういうことでしょうtyphoon
Open

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天使のお尻

サンタルチア編にある写真でベスト1は、天使のお尻ですheart01

ぷりっとしていて、かわいいサイズなんだよね。

龍さんのとこの下着で身体がかわってきたか否かということだけど、微妙です。お尻が開放されたのかってことだけど・・・heart01
O

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π子とのゆったりした時間

π子と盛り上がって、その後、π子とお買い物に行く。あなたって即断即決で驚いちゃうわという。ちょっと待って、私、ゆっくりみるかねなんていいながら、あせっている。

ねえ、ちょっと、どうしてそんな買い物するの早いの?即断即決なわけ?なんていうんだけど、だって、買うもの決まってるんだもん、すぐに決められるでしょと答える。

π子は買い物にいくとき、とりあえず、くるっと一周してから何を買おうか思索するらしいんだけど、いいよ、π子ゆっくりみなよという。

あたたかな午後、π子とおしゃべりやらいろいろ。π子といると心地よい時間がながれていく。

お料理教室の1デイレッスンのチケットがたまったのでイタリア料理・サンタルチアクッキングにいこうと計画している。

お料理教室のアップをしなくちゃだけど、ただいま停滞中です。写真を整理しているところ。

このブログに、いろいろきちんとしたことを書きたいし、結構いろんなことがあって、そういうことを書くべきか、読んだ本のこと、見た映画のこと、驚いたこと、いろんなこと、だけど、どうしてもその先にいけないというか、ただ怠慢なだけなんだろうが、ここには、肝心なことを、書いてないな、自分。シークレット日記は、6冊目の突入している、早すぎる。

例)π子・・・Fカップの人妻、美女。意気投合。オリーブの鳩の銅像を教えると、だんなに写メールをして大喜び。よくつくるパン、キッチンパンとロールパン。シンプルなものしか作っていないらしい。身体がすごい、色気ありすぎる、けど、のほほんとしすぎている・・・買い物するのに、そんなに吟味してどうするきだろう。いいんだけどさ。掃除、洗濯、お料理が趣味という。パンは毎日焼くという。シンプルなものばかり焼くっていうけど、そこに少しアレンジしてみなよと、いろいろ教える。たとえばロールにウィンナーまきつけてみるだとか、チョコパンならシートをメープルにするとか。にしても、だんなとはラブラブって、人前で、みさかえなく、のろけすぎだheart04

 ぬれた靴の中が かわいてしまうまで ぼくらはどうでもいい 言葉をつないだ 「ぬれた靴 スガシカオ」

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闇の僕の本当の声

父親殺し

 きょうは少しタブーとしていたことを書きたいと思う。
 もし、自分の父親が生きていたらということである。
 
 はっきりいっておく。
 もし、自分の父親がこの世に生きていたら、
 真っ先に、包丁をもって、刺し殺しに行く。
 (僕の意思と天が調和して殺人が成立したら僕は殺人犯だよ!)
  
 僕は、そんな生半可な気持ちで今があるのではない。
 いいんだよ、男は、動物界を見るがいい。
 子供ができたら、すぐに、子供をすてて
 あの白熊でさえ、男はどこかへ行方をくらます。

 基本、僕は、男なんてたよりにして生きる生き方をしてきていない。
 一生、一人身だってやっていける自信が、病気をしおえた今でもある。

 僕は、絶対、男には負けない。
 もし、父親が生きていたなら、包丁をもって刺し殺しに行く。

 だが、あいにく、彼は死んでしまった。
 僕は、そういうくだらない男を父親に選んだ馬鹿でかわいい母を
 33年以上も憎んでいた。

 彼らは、一時の情熱に燃え上がって僕を作った。
 それで、彼らは所謂、僕の出生届けすら出していなかった。
 つまり僕は動物以下の認定を彼らにそこでしなければならなかった。

 僕をひろったのは、川へ洗濯にいった婆さんだった。
 
 これについて、母とも殺し合いに近いくらいの
 ファイティングをしたことがある。僕はひっぱたかれて
 母は指を骨折して、恐ろしい子供を生んだと嘆いたし
 婆さんは横で、仲裁役をしても、そのファイターはおさまらず。
 これは、母が死ぬ前、闘病生活に入る前に・・・・
 僕は、それでも、なえていく母を前に、何度かやりあった。
  
 基本、僕は、男女の愛が永遠に続くなんて思っていない。
 そんなの幻でしかないということ。だから、僕は強く生きてきた。

 どんな男に捨てられても生きて行けるように今が有る。
 僕は馬鹿でかわいい女なんかには絶対ならない。
 そうやって生きていた僕を、親戚中が、嘆いているよ。

 なんで、男に捨てられて、女々しく生きていなきゃいけないんだよ。
 さそり座をなめるのもいいかげんにしてほしい!

 ぼくは、ファイティングで何度殺されても
 おまえを殺すために、行き続けているんだ!

 僕は、魂が男だと思う。
 やられたら最後までやりとげる。復讐だよ!
 おまえに殺されたなら、おまえを殺す!
 
 僕の父親は死んで韓国の墓地に埋葬されている。
 朝鮮半島の南北統一だと?ふざけんじゃねー!
 おまえら勝手に、南北分離してりゃーいいんだよ!
 僕に国籍なんてないんだ! 僕は無国籍、無名だよ。

 僕は、基本、男なんて信用していません。
 どんな男も信用しないし、基本くだらなーやつばっかだよ。
 ああ、僕は、男だとして、僕はじゃあ、まともなのかどうなのか?

 たぶん、僕は、一生、独身を貫くと思う。
 もし、恋愛が発生するのなら、それは幻だ。
 そう、僕は一生、一人でも生きていける。

 男なんてくだらないってこと、基本を僕はわかってるからね。
 夢をみたら、砕かれるのがオチだ。僕は男を馬鹿にしている。
 そして、そういうやつらには、絶対に負けないよ。

 さて、僕はきょうも戦争にかりだすよ。
 最近の僕は女々しい。かわいこぶりっこして男たちに助けられる。
 そろそろ、それはやめようかと思う、なぜって僕、回復してきたからね。

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恋のからさわぎメンバー

pigあかしや3ちゃん、恋のからさわぎメンバーと合流w 
これ、仕事だったら、かけないけど、ここはセーフティーモードですか。

最前列と最後尾、このコンビ・・・わかる、すぐわかる、いまはテレビを
いっさいみないでいるけど、すぐわかるよ、もちろん、これには納得pisces

セクハラ、パワハラ、くず、全部却下!必要ない!
この爆発宣言に、少しKY雰囲気・・・・
つまり、そういう合コンには、誘われても周波数が合わない。
たぶん、そういう恋のからさわぎも、ちょっとなあ、違うんだよね。

本心は言ってはいけなかったのか、ひかれたよ、思いっきり!
もちろん、空気は読んでいるのを承知で、わざとだよ!
ちょっと言い過ぎたかなあwwwそんな反省をしている暇はない。

よろしい。世界中を敵にまわしても、僕は僕であればいい。開き直り!
はっきりいって、ひとに媚をうってまで、僕はそういうのにあわせない。
20代後半くらいで、あわせますから、あなたみたいなきゃらとか言われても
そういうのにあわせるほど、安売りするほど、ばかでも、なんでもないんだ!

最前列女子・・・くず・・・ですか・・・それはどういう意味?
えっと、必要ない男子だよ!はっきりときっぱりと言い放った。
そうですか・・・・・はい・・・うん、ぎりぎりOKでーす!ってwww スマイル!

くずに相手をしているほど、人生は長くないからね。くずってその・・・
つまり、僕は、ひとり以外の男子をすべて敵にまわそうということ!

はっきり言いすぎなんだと思うけど、こういうのは勘違いをされたら
そちらのほうがさwww 僕はパワハラなんかに負けるほどまぬけでない。
恋のからさわぎメンバーってw20代前半くらいが、いちばんいいんじゃないかw
言わなくても通じるとは大間違いというけど、このへんだと思うw

このサイトでは、そういう罵詈雑言は沈黙をとおし、四方八方
しあわせを意識しながら、いければいいかなと思います。

ミクシィ撤退。本音は本音であるけど、マイナスを放つとそれにくっついてくる
ものに対処しきれないし、騒音はまずい。その周波数・・・が全く受け付けない。

それから、まだ続いている。第二ステージが幕を開いたばかりheart04
言いすぎだよね、わかっているよ、友人にさえ、くずなんていうなんてwww
男女の友情っていったい何なんだろう・・・それは、老人になってからでいいや。

いまは、上から引っ張られる糸だけ意識して、上がっていく感じなのかな。
++++ 4つ マイナスをやっちゃうほど、どうやら自分は強くないってことか。

からさわメンバーのみんな、きゃぴきゃぴがんばってください!傍観者だよsnow
30代女子はさ、ブラウン管にうつることじたいが、犯罪だって言われてるんだcherry

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しるしと、にゃんこと、新しい芽

丸いしっぽは3つ
戦の節目に落ちたしるし 
3つでひとつ 三位一体

これから押し花はやめて
つかまえたらすぐ生捕り作戦だw

にゃんこの供養は
ここからはじまったtyphoon
だーりん遊ぼうにゃんheart04

にゃんこたちは恋人どおしheart04
奥がにゃんこ姫で 前のがだーりんなのにゃんheart04

うっかり何かを書いてしまいそうですが
クローズドノートの種明かしを自粛いたしますheart04
養うべきものは自制心と夏を待つ忍耐力wwwheart04

ここへきて新たに復活しつつあるsun
調子にのって、またぶっ倒れないようにしようにゃんheart04
新しい芽は、ゆっくり

◇+×=叶
ダイヤモンドに針が突き刺さる=叶

四角い箱に八と書いて
□+八=四 四方八方の幸せ 新しい芽

++ 開運 ++ 新しい地点へ
Nyan_4KoibitoAtara1

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いろいろ。。。

いろいろと書きたいことや、書かなければならないことがたくさんある。でも今はとても眠くってそれをでたらめに書いてしまいそうなんだけど、とりあえず、自分が思っていることを1つきちんと書くならば・・・・

まず、人間の教育はほぼ6歳までで完成してしまうだろうということ。
これは風姿花伝にもあったと思う。完全=6

それから固有名詞について・・・
私には、今まで、数多くの名前があった。本名、通称名、エトセトラ・・・・(職業上の名前、ハンドルネーム、などなど)時と場所では、本名を名乗ってはいけない世界が多い。たとえばFBIではないが、守秘的な仕事をしているものたちは自分の仕事や名前は決して明かさない。ゴーストなんだよ。ゴーストライターなんかもそれだけど、しかし確実に彼らは存在している。名前は出ないからゴースト。私には今まで数多くの名前がありすぎた。本名を捨てるときに、好きな名前をつけることが可能だったのに、そのときには、新しい名前が思い出せなかったのだ。英雄の英という文字は大嫌いだったけど、これは宿命だとおもいあきらめた。そして、仕方なく美しいという文字をつけて、その下に子供の子をつけてもよかったけど、結局、鑑定士がどうこう以前に、新しい名前を見つけられなかったのだ。3年前のそのころ・・・

つい最近みつけた名前についてだが、もし3年前に新しい名前を探しているときに出会っていたなら、たぶん、本名にしていた気がする。しかし、目に見えない流れは、そういう勝手なことをさせてくれない。つまり流れだよ。

みんな勘違いしすぎている。自分の名前を自分でつけたひとがいないことに気がついていない。しかし、墓場に持っていけるのは、その固有名詞であるということを・・・・結局、名前がすべてをあらわしているということにでさえ、気がつかない人が多い。だから、私は、職業的なうんぬんではなしに、固有名詞という本質を絶対にあかさないのだと思う。もちろん、ここで、己が誰かなどということを公明正大に公表することは可能だが、それができないのは日本的な体質を身に付けてしまっているからかもしれない。アメリカとかイギリスだったら、違うんだよ。己が名のものか、まず名を名乗るところからスタートする。

きっと、3年前に、新しい名前を探しているときに、自分のいま見つけた名前とめぐりあっていたら、迷わずそれを戸籍の名前につけていたはずだ。でも、もしかすると、そんな横文字は受け付けられないってんで、はねかえされるだろうな。横文字はいいといいながら、どのような漢字をつかわないといけないとか、いろいろ規制があったはずだから・・・とにかく、そのときは見つけられなかった。

そして6年前、職業上の名前として、6画の名前を自分にくっつけた。それはそれで、大ヒットだったし、はっきりいうと完全だった。何の支障も無くパーフェクトだったと思う。その名前を失ったとき、本名だけになって、それは、今までたくさんの名前があった自分には(本名・通称名・職業名)いささか、少し戸惑いを感じさせた。

まずい、はやく、新しい本当の名前を見つけなくてはならない。6画の名前もちゅうりっぷも捨てて、結局それがあらわれた。しかも勝手に・・・・

みんな何かを勘違いしている気がする。6才になったら、自分の固有名詞は自分で付けてしまおうという法律ができてもいい気がする。これは言いすぎかな?親ができることがあるのなら、子供に名前を付けることだけでいいんだと思う。そして、私がいちばん親を憎んでいた原因は、その名前をどうしてつけたのかということだったと思う。

固有名詞を気に入っている人が、日本にどのくらいいるのか、そしてその名前を墓場に持っていくとき、いや、自分の名前が墓場に刻まれるのだと、究極的にいうと、アウシュビッツの戦争のときだった交わすことばは名前だけだったりするし、人間は名前を残すことだけしか、できない・・・・そのことに気がつくべきだし、だったら、自分である年齢をすぎたら、固有名詞は自分でつけられる社会にするべきだと思う。

日本は、簡単に本名を変えられない。あるとき、思い立って、自分の名前を少しいじってみようと思ったら、もう手遅れで、いろいろと裁判所にいったりと、結局、それを動かすことができなかった・・・・とても悔しかったけど・・・・だから、3年前、新しい名前を見つけることができなかったのだから、私は、もうその過去をひきずって、今からどうこうできるわけではない。

みな、勘違いしすぎている。自分の固有名詞は自分でつけたのもでないという事実を・・・親から付けられた名前で、あなたは満足しているのでしょうか?私はそれを一人一人に聞いてみたい。本名と通称名がなかった、いや生まれてずっと1つの名前で貫徹しているひとたちに・・・・

小説とか読むときも、人と会うときも、ほとんど固有名詞が80パーセントか。人の顔も、何もいらない。名前だけしかないんだよ。そのことを、その本質をどのくらいの人が知っているのか、その辺だよ。小説を読んでみると一番面白いのは、結局、名前なんだよ。それしかない。結局、小説を読むということは、どのくらいの固有名詞と出会うことなんじゃないかな。

ああ、もっといろんな面白いことがあった1日で書くべきことはたくさんあるのだが、固有名詞と6歳ということで、尻切れトンボでここらにしておきます。もっとちゃんと書くべきだろうけど、どのくらいの人が、親から付けられた本名というか固有名詞に満足しているのか、そのあたりを知りたい。ちょっと言いすぎかな?名前を変えることができるのは、外国人くらいなのかな。

とにかく、日本国籍をとってしまうと、名前すら、もうかえられなくなるんだもんね。でも、外人だったら、いつでも、好きにいじれるのにな。とても、おかしなことである。私はやっぱり日本人ではないんだと思う。もうずっと昔の感覚でいきている。いつでも通称名なら変えられる。そして、それに付随するものも。本名ってのは戸籍を動かすときしかいじれないからね。

一度、皆、固有名詞を捨てるべきだ。本質を捨てろといっているのかって?いいすぎかもしれない。とにかく、その名前をじゃあ、満足しているのかってことを。生まれてから死ぬまで、ずっとその名前で満足しているのかっていうことを・・・・そして、その本質を気がつかないでいる人たちに対して・・・・ゴーストになったときのないひとたちには、それはわからないことなのだと思う。私はいつでもゴーストになれる。そして、たぶん、そうしてでも力を発揮するだろう。

ゴーストの逆襲・・・・あはは。みんな自分の固有名詞に満足しているのだろうか?一貫している人間たちに、それを聞きたい。自分の新しい名前を、本気で本名にしようとしても、それは政府に却下されるだろうけど、やっぱり本気で考えている私には、ちょっとおかしなところがあるのだろうけれど、首尾一貫した人間たちに、そのあなたの固有名詞についての満足度なり、意見が聴きたいところだ。

もし、自分にハンドルネームすら付けられない人がいるのなら、その人を裸の王様と私は呼びたい。あなたは裸の王様、親からもらった名前で全世界を歩いているのだから、その世界がわからなくてよろしい。ゴーストになった気分すらわからない人なんだろうから。そういう人は王道だけいけばいい。

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天使の思索

ジュマペール ピーチリオ
ジュテーム メルシー

上でもなく下でもなく
押すでもなく引くでもない

なら時計回りにいきますかheart04
左のピースは最悪最後でいいのかもtyphoon
なぜって、それは心臓の位置だからheart04

そうだ、明日から、ここの壁紙を取っ換えることにする。
桜が完全に散ってしまった。ええん。早すぎるんじゃない?
13日、仏滅。いや13って、復活の数字だった気がするけどtyphoon
Tensi

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過去・現在・未来

雨がすごい勢いで降っている。この雨の音は川の音で、私の原点でもある。どんぶらこ、どんぶらこ、川から下ってくる音だ。母の人生は、臨月の私をお腹にいれて川下りをしたときに終わってしまったのだと思う。母は雨女だったんだけど、死んだ日も、結局すごい雨の日だった。あれが、川の音だってことに気がついたのは桃太郎の戦を終えたときだった。
 誰にだって1つや2つ、人生にトラウマがあって当然だ。あのジョンはいまでこそラブ&ピースの象徴みたいにされてるけど、両親に捨てられた心の傷は長く癒えなかったし、マリファナやりながら作った曲もあって、最後に家族愛をうたうまでに、いろんな変遷があった。いろいろ問題はあったけどジョンは常に自分に正直であり続けたしいろいろな意味で前衛的・革命的だった。『GOD』『Mother』『Imagine』参照。それに夏目漱石だって、恥掻きっこで世の中に生まれて、すぐに乳母にやられて母のおっぱいがあって大きく育ったわけではない。今でこそ夏目漱石は日本文学の礎を築いたとか、日本の小説100年の孤独の原点なんて言われるけど、夏目漱石自身もトラウマをもつひとりでそれを作品を書きながら消化していったんだと思う。いや漱石の場合は消化するというのよりも、それがあったからこそ、あれだけの作品になったのかもしれない。
 私自身が師匠様と離れている間することは、地球の裏側に自分の足で下りて考えてみることだった。それは誰かから与えられたアドバイスや答えであってはならない。
 これは研究論文の延長でもあったし自分自身の問題でもあった。世の中はラブ&ピースどころか、目をこらしてみると戦争と暴力で満ちている。2001.9.11がそれをみごとに証明してみせた。知らないふりなんてしていられない。私自身が被抑圧者の立場の側について、声を出せないものたちの側で闘う必要があった。声を出せずに暴力的に破壊された人たちを代弁する作品が『8月の果て』であり『ディクテ』であった。戦時性暴力とは、すなわち、権力のあるものたちが暴力的に行う行為であり、それは父権性というなのもとに女性に対する暴力であったり戦争という大量殺戮であったりする。そして、それは地球のどこかでいまも起こっていることである。だから、どうしても闘う必要があった。自分自身が納得するまで降りていこう、だから、いま、ラブ&ピースの世界にいるのはまちがった時間ですというのを直感的に感じていた。地球の裏側への旅は、6月から始まった。要するに、ここら辺からラブ&ピースモードは封印されたことになる。それはモード的に当然のことといえばそうなるけど、自分的には結構珍しいことだと思う。知らない間に、いよいよそれは凍結を迎え唖然としたりもしたことも起きたが、どっちにしても、そういう傷なんてものはいつか癒えるもので、今となってはどうでもいいことになってしまった。ジョンの変遷とは少し違うやりかたで、私なりの方法でそれがなされる必要があったのだと思う。わんちゃんじゃないけど優先順位があるっていうのかな。だから、私も何人かのプロポーズを断ってしまったことになる。でも、それが時間の流れだったからしょうがない。仕事のほうは、テレビのほうはスポーツ番組(シンクロ)が終わったところになる。地球の裏側への旅は、正直、苦しいものだった。それでも、闘う精神力や体力は申年の柳さんに鍛えられてできたというのかな。雑草には雑草なりの生き方があるにしても、それでも、結構きついものだった。雑草にしちゃあ弱くできたもんだ、父母がいない立場だから、強く生きていかないと馬鹿にされるのはわかっていたし、何しろ列島遺伝子、第三国人の血を引いているわけだから、日本人の親戚、とりわけ鶏にはしょっちゅう突かれた。鶏の存在は、負けてはいけないといつも自分に言い聞かせるエールになった。そして、この戦いは、それは自分で降りていったことだから、どうなってもしかたない問題で宿命であったのだと思う。漂流時から、それぞれのポイント地点で学びと気づきがあるごとに、川が流れるように場所を変えたように思うし、それは何かに導かれた川渡りみたいなものだったと今になって思う。ピンポイントできちんと移行してきているのだ。昨年の秋に、『千の風になって』の歌手、秋川さんと出会うことになる。この歌が、9・11の死者たちを代弁する歌となっていることは言うまでもない。それに、どういうわけか秋川さんと縁があるなんて、まったくもって秋の川流れみたいじゃないか。いま、過去になったから分析できるけど、そこに身を置いているときは、分析できる段階ではなかった。やはり、過去にならないとわからないことがあるものだ。
 川の流れというと、それは、それは自分の原点であるだけでなく、メタフィジカル的な問いに答えるようなものでなくてはならなかった。ただ、自分のこの目で世の中をみる訓練をしてみても、最後のその日になるまで、ずっと暗闇のなかにいて光がさしてくる気配もインスピレーションもひらめきもないまま時間を過ごすことになった。つまり、この時間は、自分は死にながら生きているということになる。闇と孤独と雑音のなか、混乱しつつあったし、そのせいで、闘うために地球の裏側に降りていったことさえ忘れていたのだから。闘うなんて言葉じゃなくて、これは、漂流といってもいいだろう。大げさに言うと、10か月と10日のすべての日数が闇黒の世界であったということは最後にしることになる。ただ、ピンポイントで川の流れを少し変えてみるときだけそれなりのインスピレーションなりがあったし、だから、まるでターザンのダンスをしているようなものでもあった。どうやって、そのように動いたのか、動けたのか、それは流れのままと答えるしかないのだ。でも、それは闇黒の流れだった。そして、ようやく、ホンモノの答えを導きだせたのは10か月10日たったころだった。2008年の3月の終わりから4月にかけたなので高島先生(仏滅とか大安とかいう日を決めている先生)のお告げの時期と重なった。あとでカウントすると、ちょうど10か月と10日だったというのに気がついたわけである。闇中摸索のとき、あと数日なんていう確認なんてできないのだから。つまり、分析や方程式なんてのはあとから作り出したものでしかないということが実証されるわけだ。人間の精子と卵子が受精して世に誕生するまで母胎にいる期間、つまり、私は闇の中で闘っていたということになる。それは、いつ、どうなるかという答えもないまま。この期間、自分の身体が抱えていた身体的な問題もでてきたのは偶然だったのかもしれないし、必然だったのかもしれない。なぜなら、それは、精子と卵子から始まった問題であるのだから。

 春分の日の前日に予言する鳥が2匹登場した。その予言なりは助言は鋭いものであった。このころ、ちょうど3匹のサルたちに目や口や耳やらを塞がれてきついところだったと思う。しかし、翌日、ちょうど春分のこの日を境にして、今までまったくつかみどころのなかった問題がカタカタと音をたてて形を取りだしたのである。川の時間の流れが逆流しているのだ。もちろん、そのときもちょっと違う世界にいたと思う。いわゆる、それは、こことは違う、もう1つ存在する時空のパラレルな世界にいて(薬で頭がいっちゃっていたんじゃないかという医者の助言もある)あっちの世界からこっちの世界に戻って来れない気すらしていた。つまり、「わたし」という身体が「ここ」にあるのに「ここ」にいないのだ。しばらく、川上と川下を右往左往して、ようやく「いま・ここ」に戻ってきたのは、銀の龍の背中に乗った日になると思う。それまでに自分自身でいろいろな問題を抱えていたし、それを自分自身のなかで消化するのに時間がかかってしまったのだ。小説でいうと、浅田次郎の『地下鉄に乗って』なんかもそうだけど、過去への時間の逆流、あのとき、ああだったら、こうだったとかという問題があるのだろうけど、少しそれとは違うけど、時間を過去と現在と未来とすると、この時間の逆流を体験している間の自分は「いま・ここ」から少し離れていたのかもしれない。
 それがどういうふうに起こったかというと、自分自身の意識では調整できない「夢」という形であらわれた。今でこそ、こういうのはスピリチュアル研究家だとか、臨死体験だとか幽身離脱なんかと言われて眉唾ものかと思われるだろうけど、私の時間の逆流は「夢」寝るときに自分の意識で調整することができないものであらわれた。
 無意識の領域、夢での混乱は冬の間は長く続いた。これは桃太郎が鬼ヶ島に3匹の戦友を引き連れて鬼退治に行っているようなシーズンだったと思う。ただ、鬼ヶ島へ鬼退治をした冬だけが桃太郎にとての宿命大殺界っていうのではなく、桃太郎は川へ流されたときから、それは始まっていて、その因果は巡ってきたということだけなのだと思う。
 過去、現在、未来という時制を結ぶのが「いま」という時なら、これからの有限の時間でどういきたらいいのか。それを、最終決戦が終わったときに、未来の映像を、やはり夢という形で手渡されたのかもしれない。
 師匠様が「人生はおとぎ話」と言った意味が、あのときはピンとこなかったんだけど、鬼退治がおわったあとだと、それがすごくよくわかるのである。自分が体験してきたレベルであのときの言葉がわかるのである。
 意識と無意識のずれの感覚がどのくらい修復できたかはわからないけれども、鬼ヶ島の合戦を終えたことと、デイモンっていうのは悪魔でもあるけど守護霊でもあるんだなということに気がついた。それについても、未来映像を夢で手渡されて初めて知ったことなので、イカサマといえばイカサマである。
 ここまで辿りつくのにだいぶ時間がかかってしまったけど、これはこれでしかたのなかったことなのだと思う。
 「いちばん大切なことは目に見えない」サン=テグジュペリ『星の王子様』
 師匠様は、そのいちばんたいせつなことは目に見えないというのがわかっている人なんだなと思う。昔は、師匠様のことは宇宙人かなあと思っていたんだけど、いまは星の王子様みたいに思うな。どちらにしても、また、ここに戻ってきた、違う形でってことかな。やっぱり、だから、とても大きな一歩だと思う。

 さやか美容室のさやかさんは、実物のさやかさんではないし、おさむ書店のおさむ店長も実際の人物ではないんだけど、夢でみた未来の映像は、きちんとした手応えを私自身に残してくれたし、それは、現実世界にあったのである。そのときは、確認するのが怖くて戦友のわんちゃんを引き連れていったけどさ。それに予言する鳥が「守護神」だということさえ、未来映像を手渡されるまではわからなかった。私がみた「夢」の出来事、とりわけカラーの未来映像は「現実」は神経衰弱のような関係をもっていて何某らのつながりを見せているのだ。春分の日以降になるわけだけど、ただ、これを真顔でいうと頭がいっちゃっているなと思われるだろうから大きな声では言えない部分でもあるのだけど、あの時に『銀の龍の背に乗って』という歌と龍のクッキーがつながっているように、それは幻覚ではない何かの「しるし」を私自身に手応えとして残しているのは確かである。いま、ここから未来を変えるというのは常識だろうけど、ここらの逆流期に私が体験したことは、この逆で、未来から今をつないだということなのだ。この体験は自分自身でも驚くべきことだったし、正直、イカサマすぎるなと思うのだけど、でもどちらにしても、無意識の領域で夢という形をとって、未来映像をいくつか手にして自分の意識外の領域での思考の本質を探ることになった。過去・現在・未来が同時に存在する世界で、「いま」以外の夢がそれなら、まるSFマンガじゃあるまいし、正直これについては確かなことが言えない部分でもある。ただ、おわりと始まりが、そして、過去・現在・未来がある「いま・ここ・わたし」にようやく辿りついたんだなというのもあって、そして、それは川の音が原点であったということで、それはいわゆるメタフィジカルな問題にも呼応しているから、かなり大きな合戦を自分なりにクリアした気分っていうのかなpig

 まだ色々まとまらない部分はあるところだけど、とりあえず、ここまできたというのかな。大事な部分はすっぽり抜けていて書いていないんだけど、川の音を聞きながら(雨の音)これだけは書いてアップしておこうと思ったのでアップします。

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キーワードはモモ

桃太郎と桃の花とモモのグロス。

キーワードはモモだな。
モモばっかり視界に飛び込んで来ちゃってしょうがない。

人間を桃太郎の引き連れた動物に譬えるのはいいかげんにやめようと思う。サルってのは結構厄介で、あらぬことをやってくるし、結構きびしい。犬はしっぽをふって愛きょうがいちばんあるな、相性は良し。鳥ってのも厄介だよ。鶏となったら朝からコケコッコとやりだすし、目玉を突っついて喜んでいたり、後ろから突かれちゃったりしてさ、もう怖いったらありゃしないよ。鶏なんってのはいちばん苦手。ぎゃんぎゃんきゃっきゃやって、それが守護神でキジには頭に角があるでしょってさwまったくわからないや。そういえば柳さんはサルだったなあ。私の周りのほうでは、3月が終わったら、サルもおとなしくなったみたい。サルってのは本当に厄介だからねw後遺症がありすぎて、説明できないところなんだけどwww

モモのグロス
モモのグロスで唇がぷるぷるしているいいのかなあとかwってwwピーチの味がいいだけなんだよ。リオデジャネイロ。マヤ文明とアポカリプトとかってつながっている。うーん、分析しすぎだよ。ただモモの味がいいだけなんだけどさ。第一、ここまで考えてないんだけど、分析してみると、無意識がどうなっているのかって考えることができるもんだ。やっぱり女の子でよかった。男だったら、好きな人といっしょになるときおかまにならないとならないじゃないwサルと鬼が丘の鬼っちに、グロスつけてると、唇がぷるぷるしているねとかって言われたけど、モモの味がすんだwみたいなw男子ってメンタムなのかなw
TarouMomotaroMomonohanaMomonogurosu


ランコム
ピーチ・リオ

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松子の動き

梅子が開通できず、しかたなく松子で3月はがまん。
梅子は、4月まで、ねかせつけておけばいいや。
ぬかみそじゃないけど、おいておけば発光(醗酵)したりしてさ。

だから自分の意志通りいかないってことを知らしめている。こんなことは、しょっちゅうあったのだが、ここにきてひどいや。なんでそんなに君は頑張ってしまうのか?頑張ろうとしなくたって頑張れるんだ。なんでそんなに食欲が出てしまったのか?食べないでいようと思うと食べてしまうんだ。でも、食べようと思うと食べられないんだ。

なんでそんなにいつも失敗ばかりなんだろう。勝とうとばかり意識しているからだ。なんでそんなサクセスストーリーみたいなことがあるのかって?知らないけど、そうなちゃったんだよ。よくわからない、でも自分の力ではなかったっていうことで、自分の意志なんてのは結果的にはあんまりなかった。

まったくすごくだらしない話になるが、松子の動きは、僕は捨てられようたってまだ動く、梅子が動くまでは・・・・みたいなさ。

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復活祭 ハレルヤ Love Somebody

きょうはキリストの復活祭(イースター)です。ハレルヤsun
キリスト教の典礼暦における最も重要な祝い日で、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目によみがえったことを記念する。復活祭は基本に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われるため、年によって日付が変わる移動祝日である。2008年の復活祭は西方教会で3月23日、東方教会では4月27日。出典Wikipedlia

儀式みたいな気分にひたりたいっていうかなパイプオルガンの音色を聞いてハレルヤの讃美歌を歌ってみるかなあという気分もちらっとあったのですが仕事が終わってコーヒーを飲んで一息ついて小説を読んでうたたねしちゃって見逃し三振typhoonこんな調子で昨年は過ぎていきましたよ。昨年は病気したことを引き摺って身体のほうだけでなく全てが完全に破壊された。でも今思えるのはそれは新しい1つ上のステージに進化することだったのだと思える。キリストの復活はただ単純に宗教的な行事で象徴的な出来事ではなく事実どんな人間にも当てはめても考えられることではないんじゃないかと思える。

先日は1時間遅刻だったんだけど、やっぱり参加してやっぱりよかったと思う。ハレルヤheart未映子ちゃんのライブは遅刻しないで行きたいと思っているsun彼は遅刻してもいいって言ってくれているけど彼がいうに250人だっていうから席は前のほうに座りたいもんねvirgo先日のライブでコブクロでこれって?質問されて、ええ何が?ってちゃんと答えられなかったんだけど基本的に大中小、松竹梅、プロ、セミプロ、アマチュア、自分的にはあんまり関係ないんですよ。主催者である彼だっていうけど、こういうのって参加することにこういうのって意義があるわけですよ。ガッツーン。これは今の自分にはわかる。

来週の予定をスケジューリングしていて、どうだろ無理かなあどうだろうなみたいな気持もあったのですが、スケジュールってのは調整できるかぎりしないとならないし、体は動くようになって2本足でとりあえず健康なわけですから動けるなら動かなくちゃ。薬物中毒じゃあるまいし、本当に動きたくても動けない時期ってのがやっぱりあったなあと思う。ライブってのは、有名だとかそうじゃないとか、大勢ひとがいるとかいないとか、そういうんじゃないんだよ、参加することに意義があるんだvirgo私はそのとき、そういうことをきちんと言葉で言えなかったんだけど、彼と話していて僕は満員でも追い出さないから安心して来なさい、君が遅刻したっていい、つめて300人は入れるようにしてあげようって言ってくれた。うるうる。遅ければ席がどんどん悪くなるだけ自業自得happy02

我が輩は完全に(?)復活したわけだし、これからどんどん動き回るようにしたいなと思う。友達以上恋人未満ってのをいっぱい作りたいと思う。わたしはあなたと友達になりたい。だってほら、恋人になったらいつか別れたらもう終わってしまうけど友達ってそういうのがない。

きょうは新しいパソコンを見てきたんだけど、近日、我が家にやってくる。今度のパソコンは、いままでのなかで松竹梅でいちばんランクが低いウメ。竹レベルでも5台ぶっつぶしたしな。店員さんが耐用年数長くて2年ってあなたどんだけなんすって?bleah

それじゃみんなライブで会いませう。
なんかあれだね、気軽に、やあとか無理?virgo
いまは恋人とかそんなんじゃなくて友達をいっぱい作りたい。

織田裕二のLove Somebodyはこちらです。あははheart04ノーバディライトがなんでサンバディトゥナイトってさゴロがおなじだよ。
  あの日みた夢の続きを今も 憶えているから
 あてもなく過ごす日々を どうにかこうにか切り抜けた
 大切な人を忘れないように 生きるのもムズカシイさ
 僕らはせめて同じ時代を 生きていることを感じたい
 僕をみつけた時から 求め続けていることは ひとつだけ

 La La La Love Somebody tonight
 La La La La La Love Somebody for life
 And I will never neber never never never never never
 Let the love go
 I wanna Love Somebody tonight

 また逢える日の約束しよう 言葉が足んなくたって
 響き合ったね 同じリズムで どんなに遠くに離れても
 風に耳を澄ませば 聴こえ続けている詩は ひとつだけ

 ねえ。やっぱりあれだよ、これ替え歌とかじゃなくってさあw

 でも思うんだけど、きっとまた我が輩は自分に負けるかもしれない。今度こそ復活なんてのはないまま失われてしまうかもしれない。そして生きているうちにどこにも辿りつくことがないまま人生の終焉を迎えてしまうかもしれない。どんだけ死力をつくしたところでそれはもう取り返しのつかないところまできているかもしれない。でも、それでもいいやと思える、一度死んで復活したという体験をしたからだと思う。これだけは言える、少なくとも我が輩には待つべきときがあり探しもとめるべきなにかがある。じっと耳をすませて空中に放たれた音をききとる。そこにある音楽と人々の通り過ぎる足音から、そこにある音のない響きを聴き取る。そこでは誰かが誰かをよび、誰かが誰かを求めている。それは声にはならないもので、言葉にすらならないものとして存在している。そういうのが復活した身体になって信じられる気がしている。またきっと負けたとしてもそれでもかまわないと思える。復活祭のハレルヤソングってLove Somebodeyなんてのもnoteひゃああれ何かきょうもぶっとんだ内容になちゃったpigぶひひapple

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金柑と満月

昨夜はパラレルワールド的な小説を読みながら、登場人物の語りを読みながら、御説教されているような気分になってしまい本を頭の上に乗っけながら寝てしまって、目覚めたのは朝の4時だった。夢はまったくみなかった。春分の日の初夢があまりにも強烈であったのと、それが現実世界みたいで(足をつかまれた感覚がきちんとあったのです)だいぶ混乱してしまったこともあったのと、いま読んでいる小説の定義でいくと、やはり夢は意識のアクセスでもあるかもしれないという(勘違いかもしれませんが)気もしてきて、これはただの現実世界の充足とか願望(フロイト)のために夢をみるのでもなかろうという気が強かったわけですvirgo

朝4時に小鳥がどんなふうに泣いているかというと
ホーホケキョ ホーホケキョー ホーホケキョー (ソプラノ)-
ホホホホホ ホホホホホ ホーホケキョー・・・・(アップテンポ)
ギィーギィーギィーギギギギィー・・・・・・・・-
ギギギギギー ギィーギィー(ねじの音・世界のネジを巻いているのは鳥か)
・・・・・チュンチュン チュンチュンチュン(小刻みのソプラノ+)

小鳥って朝にこんなずっと鳴いているんだflairと妙に感心してしまう。

読みかけの小説を読み始め朝の6時になって
次はカラスが鳴き始めている。
カァカァカァ カカカカカ
カラスなんて、これがバックミュージックなんてイヤだな
そう思って、小説を閉じて再度眠りについてしまうheart04

ゆったり起きて、おにぎりと味噌汁を作って食べて
庭の植木に水やりをして金柑の実が黄色くなっているのを見て、
そうか、きょうは満月だったじゃないかと思うfullmoon

満月さん!何度、空を見上げても月を発見することができないsweat02
月はどっちに出ている?右にもない、左にも、前方にも、後方にもない。
しかし、ネル前にベランダから真上を見るとそこにあったfullmoon
灯台もと暗しってこのことなのかな。きのうは左にあったのになfullmoon
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春分の日(金)にキリストは死んで
きょうは、まったく墓場の人、
明日は復活祭イースターです。

明日は戦ということもあり
もっといろいろ書き留めておきたいけど
頭の空気ももやんとしてきたので寝ますfullmoon
おやすみなさいappleheart04アイラブユゥheart04
KinkanMangetu

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矢尾こと葉さん

最初、この固有名詞はナンダロ?と思ったのだけど、おめでたい人だと思うsunレイキっていうのは、禅の世界だとかヨガにも通じるものもあるのかな。この人のいう本質は、共感できるところも多いのだけど、ひゃあ??みたいに思うことも結構ある。友人がこのセミナーにはまったのか(?)グランディングだとかセンタリングだとかって言っていて知ったのだが本質のところを突いていると思う。レイキとかいうとスピリチュアルの江原さんの言うことと通じる部分もあるし『気』の本質っていうのかな。しかし、ところどころ眉唾(?)にも思える部分っての(?)ただ、よく解釈するとマインドコントロールよなんて片づけられないところも多々ある。これ風水とかとも少し違うんだよね。友人は風水って宗教もどき?なんて勘違いしているのだが、土地も人もすべての物質は原子から成り立っておりそれはエネルギー、つまりパワーをもっているわけで、その目に見えないレイキがここではポイント。いそいそと講習にでかけるまでもないわけだと思うけど、目に見えないレイキの世界はやっぱりあると思うわけで、そこらへんを調整するのが、この人がやっていることみたいです。

ここでメモ。

<ヒーラーさんにやってみていただきたいこと>

1.食べ物(口に入れるもの)にすべてレイキをかけていただく(第1シンボル&マントラ)

2.洗顔をするときに、レイキの出ている手で顔を洗う(第1)

3.朝や出かける前、寝る前などに感謝行(第4シンボルをかぶる)をする(第4)

4.全身の自己ヒーリングを続ける(13ポジション、時間は無理のない範囲で)(4-1)

5.カラダの中の気になるところや痛い場所を集中的に毎日ヒーリングをする(4-1)

6.お財布や普段使うものにレイキをかける(第1)

7.シミやシワ、ケガの跡などを消すようヒーリングする(第1or4-1)

8.地球ヒーリングをする(4-1)

9.住んでいる場所や会社に環境ヒーリングをする(4-1)

10.家族や知人に遠隔ヒーリングをして感想を聞く(第3)

11.入浴時のお風呂の水や蛇口などにレイキをかける(第1)

12.家や車、自転車などに防犯的にレイキをかける(4-1)

13.落し物やなくし物をレイキを使って探す(第1)

14.自分やまわりの人のオーラのクリーニングをする(4-1)

15.ペットをヒーリングする(4-1)※背骨があるならチャクラヒーリングも可能

16.レイキ練習会に参加する

17.まわりの人にどんどんヒーリングをする(直接触れても触れなくてもOK)

18.過去のトラウマを癒す(第3)

19.夢手帳を書いて、それにレイキをかける(第1)

20.ハイアーセルフとコンタクトする

21.仕事やモノづくり、マッサージなど手を使って行うことの前にレイキを出す(4-1)

22.アファメーションを使い電車の席を開けて座ったり、駐車場にスムーズに駐車する(第1)

22.買い物の際に、ほしいものと時間を決めてアファメーションして出かける(第1)

23.調子の優れない人が近くにいたらその人ごと空間をヒーリングする(第4)

24,家の玄関を入ったところから、家全体にレイキをかける(4-1)

25.プレゼントや贈り物、手紙などにレイキをかける(1、2-1、4-1など)

26.ヒーリング中に自分のこだわりやネガティブな気持ちに気付いたら、それを手放す方向で、
動いてみる

27.直感に従って、どんどん行動する。必ずいい出会いがあります。

28.起きぬけに夢日記をつける。さまざまなメッセージを受け取っているはずです。

29.仕事中や移動中などでもアイデアがどんどん浮かぶと思うので、それは大切にメモする

30.合わなくなったと感じるモノや場所、人などを避け、気持ちのよいものに近づく

31.21日間の自己ヒーリングを終えての感想を書き残す。

32.日々の気付きを手帳やブログ等に書き留める。気付きが今後の指針になります。

33.今後の夢を考えてみる。心にブロックを感じたら、それはヒーリングポイントです。
癒していくとより自由に、夢を叶えるあなたになっていきます。

34.気の高いパワースポットへ出かけて、そこで自己ヒーリングをしたり
瞑想したり、土地のエネルギーを感じてみる

35.アロマ・リフレ・整体などの仕事をしている人はレイキヒーリングをメニューに取り入れてみる

大事なことを羅列してあったので、我が輩のブログにもアップしておきましたsun実践的な内容でいいね。この中のいくつかできれば御の字でしょう。

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3匹の猿

今の自分は3ザルにとりつかれている。

何かを見ようものなら目が拒絶し
何かを聞こうとしても耳鳴りがして、
何かをしゃべろうとしてもうまくしゃべれない。

3匹の猿が両手でそれぞれ目、耳、口を隠していて
まったくそれは困った状況になっているわけです。

3匹のサルたちに取り憑かれるのも悪くはないんだけどね。
3匹の猿は、我が輩が悟るまで去ってくれないのだろうかcoldsweats02
Saru


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人間(こころ)が壊れるとき

私が仕事のときは、祖母(83歳)はヘルパーさんに御世話になっている。祖母の子供は私の母もふくめて全員、あの世にいちゃっているため、ここにきて登場したのが我が輩というわけです。

仕事から早く帰ってきてヘルパーさんと話してみると、現在の介護状況だとかについての論議になり<人間(こころ)が壊れるとき>というブログを薦められた。もしかすると同じヘルパーステーションのひとたちが行っているのだろうか?固有名詞のほうが気になって・・・・まさか知っている人じゃあるまいな。

こうやって赤裸々なブログはちょっとどうだろう。見ないほうがよさそうじゃない?でも他人事ではない?ヘルパーさんが薦めるわけだから・・・私はその人をとても信頼している。それに在宅で仕事をすることをやめて調子がよいのは介護保険をつかっているからだしヘルパーさんがいないと回転しないわけだから。

モブノリオが『介護入門』で、俺はいつも、「オバアチャン、オバアチャン、オバアチャン」で、この家にいて(介護している)祖母に向き合う時にだけ、辛うじてこの世に存在しているみたいだ。なんて言ってるのを読んで共感するも、当時の介護福祉法はまだ試行錯誤でモブノリオはヘルパーに対する嫌悪感のほうが強いのを感じ取ったのだが、私自身はちょっと違う。これは、ここ数年、いや相性の問題なのかなあ。一方、『黄落』の現実的な問題のほうがシリアスに感じられ、自分はこの中間層ぐらいなのかなあと思ったものだが、ただ1人この世に存在している先祖とすると、何としてでもここは寿命を一気に引き延ばしておきたい(自分の遺伝的統計からみた平均寿命)という気持もなくもない。

人間(こころ)が壊れるとき
これは嫁姑の間だから問題はなおさら深刻。私自身は年をとったときのことを今まで一切考えないで生きてきたと思う。それは両親が他界してしまっているという現実的な事実もあり、自分が病気をしたときに、おお、これは、もしかするとこれはいつジエンドだっておかしくなかろうと思ったコトも関係している。

2010年には日本の平均寿命が90歳になるというじゃないですか。なんだかそれも怖いなあ。いえいえ、長生きは人生の勝者なんですよって!ピンピンコロリが死語なら、どうとらえればいいのかなあ。

祖母にここらの長く1人だけ生きているということを問うと、戦争で爆弾が目の前に落ちたのよ、食べるものがなくて生き延びたの、闇市がどうの・・・と始まるわけで、なるようになるみたいに落とされる。

こころが壊れる前に何とかなると思いたい。でも壊れてしまったなら、それはそれでしかたないこと。ありのままを受け止めて、なるようになったなら、もう過去はどうでもいいじゃない。

ということで、私は、あんまり介護問題をヘビーには捉えていないと締めくくろうfujiいろんなお年寄りがいるけども年輪を重ねた人にしかわからないこともあるわけで、年寄りは敬い優しくいたわってあげたいなと思うapple

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落下か上昇か

頭上をぴゅーっと飛行機が通過
あれ、落下しているのかなあ?
よく目をこらすと上昇していましたcat

空高く舞い上がっていくところなのに
落下しているように見えちゃうのは錯覚でしたsun
315

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だんだん・・・

だんだん季節が変わってきているhappy01

そろそろアップル
リンゴをトリに駆り出す時期?sun

あんなに寒かった日が嘘のように
あんなに動かなかった身体もだんだん動くように
一切が過ぎ去ってゆき、これから、だんだん・・・heart04

転べるまで突き進めるって
やはりすごいことであるsun
またそんな勇気が新しく・だんだんthunder

冬のピアフは過ぎ去り
春のピジョン(pigeon)がやってきたup

ピジョン、ビジョン
なんでね鳩が幸運を知らせるのか
このナゾが解けましたsun

ピジョンとビジョンheart04
つくづくおめでたすぎるのですがlovely
新しい風と新しいビジョンがだんだん・・・shine

破壊のあとにくるものは
再生、新しい出発であるbell
昨年の10、11、12月が苦しみで
1、2、3月は破壊であったのだけど
ようやく宿命大殺界から出て
ゼロの地点にきたように思いますchick
破壊されてしまったという実感sweat01

手放したもの、過ぎ去った季節や人たち
これからは新しい獲得のほうへ、だんだん・・・

身体のほうもだんだんよくなってきています。
ただでは死なないようになっているのかなtyphoon
後遺症も少しずつ克服しつつあるようですscorpius

新しい風が吹いてきましたtyphoon
これからだんだん・・・・notenotenote

Ringo_2Hato_2

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地蔵こすり

地蔵をこすったら身体の痛みがふっとんだsun
こんなこと言うと眉唾だって思われそうですがthunder
だいぶ身体が楽になってきましたheart04

基本的に我が輩は宗教というかセクトはナッシングsleepy
とはいっても地蔵こすりだけは年に数回実施しているclub
ほとんど困ったときの地蔵こすりみたいなもんですがwobbly

それから、ここの通りはね泉ぴんことかオバチャン芸能人とか
まあオバチャンの原宿っていうかオバチャン通りなんですがねthunder
ここの通りにあるお店は御利益店といって眉唾商品が多いheart

真っ赤なパンツのワキに地蔵のゴールドマークがスタンプしてあったりね
お煎餅にもおまんじゅうにも地蔵のマークがスタンピングしてあったり
ですが、ここの地蔵参拝茶とお煎餅はどこにもないよheart04

巣鴨の刺抜き地蔵のジンクスはあるのかなcat
地蔵を全身をこすって気分爽快sun
Togenuki

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野良にゃん

うちの近所の野良にゃんは
我が輩を怖がって逃げます。
撮影できるのなら尻尾くらい。
Nyan

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早咲き

久しぶりに更新club
波があって節がある状況なのかな。

ここのところだいぶ暖かくなってきました。
ココログをソメイヨシノに模様替えいたしました。

これは早咲きのさくら。
漢字で表記するなら桜でなくて櫻のほうかな。
Saku

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破壊

春一番が吹いて、庭のフリージアの鉢が倒れた。やっと出ただろう新芽たちがすべて鉢ごと地面に落下して破壊された。不吉なことがあるもんだ、まったく春一番は嫌らしい、やれやれと思っていた翌日、それが起こった。もう1か月もたつのかと思う反面、この1か月は苦しみの日を生きているという感覚が強かった。看護士さんと近況について、その後のことについて話をした。今がいちばん辛い時期でしょうね。でも、この辛い時期は必ず通り過ぎていき、いつかきっと、このことがあったことさえ、そういう感覚さえ忘れていますよ。それから注意事項がいくつかあった。動かなくなった筋肉の動かし方はあたためたときに少しずつリハビリをしましょうということで、話されたことは楽観的なやりとりだったように思う。その後、担当医の敬愛なるナツメドクターと話をして、その楽観的な前述のやりとりがあったせいだろう、これはイージーなことだと思っていた。芥川ドクターとも話をして微妙な時期であること、医学的経過は「待ち」の体勢があって医者が手を付けていいものかという時期と手を打たないといけないときがあると言った。「待ち」の体勢だけで、だめだということがわかるなら、それは「いつ」が最善の時なのか。ナツメドクターはいまからやりましょう、みたいな勢いだったのだけど、いつでもいいですよとも言っていたが最善の時は「いますぐ」という結論だった。
 結局、そういう経緯で緊急手術ということになった。もしかすると、放置していてはいけない一刻を争うということだったのかもしれないし、待ちの体勢に入れないということだったのだろうと思う。私自身に与えられた選択肢はそこにはなかったように思う。
 例によって例のごとく・・・もうこれで絶対に終わりだから。これ以上は、もう無理です。だいぶぼやいていたと思う。看護婦さんは、早急に太い針を突き刺してきた。それは何の合図もないから「ぎゃー」と叫ぶほどの烈しさだった。身体に太い針が突き刺さってきてやれやれと思う暇もなく、次は、冷たい液体が身体に流れ込んでくる感覚がやってきた。じんわりと雪融けがあるなら、その反対、少しずつ海が氷っていくような感覚だ。だんだんそれは激しくなり、少しずつ身体の感覚が鈍っていくようでもある。死んでいくとはこういう感覚なのだろう。その感覚は、生きるという感覚と死ぬという感覚のちょうど狭間にあるようなものかなと思った。酸素ボンベやら痲酔がくっつけられるのは感覚が麻痺したあとからだろうと思っていたが、それがいつだったのかわからない。前回までは、1、2、3ぐらいで意識がぶっとんだのに対して、今回は、その手の罠にはまるものかという気持もあって、その意識がぶっとぶのは少し遅かった。あれ、おかしいですね。入っています?お願いします。そんな手術室でのやりとりを確認して、1、2、3,4、5、6、7・・・このくらいは感覚があったと思う。だいぶ強いのをかけてきたのだろう、自分の意識では操作できる極限のところで感覚がまったくなくなった。
 緊急なことが終えて覚醒したあと、呼吸はできたのだが、喉が痛くて針を突き刺されている感覚があった。器官にどんな管を入れられたのかよくわからないのだが、恐らく左右にガンガンと入れられたのだと思う。声帯の部分と左右の部分が腫れているが即座にわかった。苦しい、喉が痛い、何か突き刺さっていないか確認してほしい。看護婦さんは首をひねっていた。どこも異常がないし、あなたがどう痛いのかわからないという。苦しいから、このままいられない、筋肉注射を1本打ってもらいたかったが、軽い痛みだと思われたのだろう、おなじみの経口薬を3錠と水を手渡されそれを一気飲みした。ぶわっと咽せた。この水が痛に通過するとき痛い、喉に穴が開いていないか、どうなっているのか心配になるが、それは想定内だと言われた。点滴をさされてずっと休んでいたあと芥川ドクターがきたので、センセイ、たまらなく痛いというと、どこがどうどう痛いのか言われるので、どうでもないところに痲酔なしで斬りつけられ、そこに塩水をすり込まれるような痛みといった。ううんというので、前回の呼吸ができなかったのより、吐血して苦しかったときより痛いというと、それはないでしょ、大げさでしょ、君・・と笑いながらかわされてしまった。点滴中に喉がかわいて何度かナースコールをして水をもってきてもらった。やっぱり痛い、水を飲むだけで痛い、そして痛いということを伝えたくても声がうまく出てこないし、声を出すと声帯がふるえてまた痛い、結局その痛いのを逃れるため睡眠薬で眠る方法しかない。
 痛み止めと睡眠薬の2セット。それから、早く復活したい気持があり遭難したときに食べるといいもの、ヘモグロビンの値をあげようとチョコレートを食べるも、ココアが喉につまってむせて苦しい。
 
 数日後、やっと、声が出せるようになった。それでもまだ管が入ったところは少し変だし痛み止めで対処している。大したことではないレベルみたいだが、今のところ、その苦痛指数は今まで体験したことのない、マックスが5だと前回まで評価していたが、それを大幅に上回る感覚だ。

 これ以上の痛みが続くなら、ちゅうちょなくあの世に送る処置をしてほしい!ということをはっきりいったが、それは大げさというものではなく、ハンマーで頭を殴られ続けてずっとそのまま平気でいる人がいるだろかということに等しい。ただ、困ったことに、本当に痛くて苦しいときは、涙は一滴も出てこないから涙で訴えるという手段は使えない。

 苦しいピークの日は睡眠薬と痛み止めで頭がガンガンとハンマーでたたきつけられた感覚で何もしゃべれなかった。その日の明け方、3時ごろ、激しい雨の音で目が覚めた。その雨の音は、母が他界したときと同じ雨の音だったと思い出し涙が出て来てしまった。苦しいときも痛いときも泣かないはずだったのに、もしかすると、やっとここで覚醒したのか。夢だったのか幻覚だったのかわからないけどそれは夢ではなかったようだ。母の死は終わってみるとあっという間で、何か嘘のように思うのだけど、肉体が滅びて屍体になって、魂が抜けてしまった、その日の音が、その魂を証明する音が、母が他界したときの雨の音だった。

 この1週間は、それでもバタバタしていた。この身体で助走しだしたりしていて自分のほうも大変だったが、遠い親戚にあたる人が1人と近所の知り合いが1人、他界した。両方とも葬式に出なかった。驚いたことに2人も動きながら、乗物にのったまま旅だった。(車椅子と自転車)その共通点を知ったとき、ただ単に閃いたというのではなく、人間は肉体を捨てて、ただ違う地点に移行するだけ、移っていくだけなんだというふうに、何かインスピレーションのようなものを感じ、動いただけだよ、みたいにいうと、は?何が?死亡されたんですよと、改めて言われる。ああ、そうか、みたいな。近所の知り合いは、ピンピンコロリと旅だった。老人の平均寿命が高くなってピンピンコロリという言葉は死語であり、問題になった言葉だと聞いていたが、医療の発達と現在の日本の状況をみてみると、ピンピンコロリって少なくなってきたように思う。少しずつ、人間は死んでいく、それが本来の死に方だし、生きて老いて病気をしてそして死ぬ、そういうステップの後に、死があるみたいな、生老病死、という四字熟語だってあったじゃない。少しずつ、景色を変えるだけで、死ぬってことは、特別なことではないという感覚で、ただ、呼吸をした生きた身体がなくなるというのは一抹の淋しさがあるくらい・・・。でも、それは特別なことではない。それよりも、寧ろ、人間は、生きる死ぬの繰り返しで、細胞は日々破壊されているではないか。

 私自身のほうは、数日間、身体はパニックになっていたけれど少しずつ何とか生きるほうに傾いてきている。キリストが手を差し伸べたのだろう、生きるほうへ。ただはっきり言えることは、何かが完全に破壊されてしまったこと。一度きた道は、もう二度と戻らないとい覚悟。これは完全なる破壊だ。私自身はもうすでに何度も死んでいる、しかし、この肉体で死と再生をするのは、もうこれで終わりだという覚悟。

 敬愛なるナツメドクターの掌の