今の自分へ
五感が戻り、喜怒哀楽がむくむくわきあがり、感官の戻ってきている今の自分へ、この言葉を書いておく。亀の薬を食べたのに、それでも、嵐にまみれて平常心を失いそうになり、世間の雑音に負けそうになる。そんな弱虫だったのかと自分に問う、冬が過ぎ去ったからといって、すべてを忘れてしまっていいのか。どれだけの覚悟で戦ってきたか、それすら忘れようとしているのか。新しい地点へ到達した自分に、自分のなかにいる敵に対して負けそうな自分へ、この言葉をとどめておく。
『バガヴァッド・ギーター』、上村勝彦 訳、岩波文庫
・・・物質との接触は、寒暑、苦楽をもたらし、来ては去り、無常である。それに耐えよ、アルジュナ。
それらの接触に苦しめられない人、苦楽を平等(同一)のものと見る賢者は、不死となることができる。
非有(身体)には存在はない。実有(個我)には非存在はない。真理を見る人々は、この両者の分かれ目を見る。(34-35)
・・・あなたの敵は、語るべきでない多くのことを語るであろう。あなたの能力を難じながら。これほどつらいことがあろうか。
あなたは殺されれば天界を得、勝利すれば地上を享受するであろう。それ故、アルジュナ、立ち上がれ。戦う決意をして。
苦楽、損失、勝敗を平等(同一)のものと見て、戦いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない。((37-38)
欲望を性とし、生天に専念する彼らは、行為の結果として再生をもたらし、享楽と権力をめざす多種多様な儀式についての、華々しい言葉を語る。
その言葉に心を奪われ、享楽と権力に執着する人々にとって、決定を性とする知性が三味(サマーデイ)において形成されることはない。
ヴェーダは、三要素よりなるもの(現象界)を対象とする。三要素よりなるものを離れよ。アルジュナ。相対を離れ、常に純質に立脚し、獲得と保全を離れ、自己を制御せよ。(38)
知性をそなえた賢者らは、行為から生ずる結果を捨て、生の束縛から解脱し、患いのない境地に達する
あなたの知性が迷妄の汚れを離れる時、あなたは、聞くであろうことと聞いたこととを厭うであろう。(39)
アルジュナよ、意(こころ)にあるすべての欲望を捨て、自ら自己においてのみ満足するとき、その人は智慧が確立したと言われる。
不幸において悩まず、幸福を切望することなく、愛執、恐怖、怒りを離れた人は、叡智が確立した聖者と言われる。
すべてのものに愛着なく、種々の善意のものを得て、喜びも憎しみもしない人、その人の智慧は確立している。
亀が頭や手足をすべて収めるように、感官の対象から感官をすべて収めるとき、その人の智慧は確立している。(40-41)
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