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生誕100年 東山魁夷展

生誕100年 東山魁夷展 Kaii Higashiyama
東京国立近代美術館
2008年3月29日(土)~5月18日(日)


東山魁夷(1908)の生誕100年を記念する展覧会。○がふたつ。○○。東山・・・鬼・・・これいやだ!この固有名詞。本名は東山新吉、名前は東山浩介・・・いつから彼が東山魁夷と名乗るようになったのか・・・(恐らく金之助が漱石になったように)画家としての名前、職業的なことに付随してくるから職業名?しかし、彼には3つ名前があるな。うん、自分的には、これは普通なんだけど、どうでしょう?僕はこれを分裂と呼ばず、名前の三位一体と呼びたい。僕はわかるよ、これ。それに東山鬼・・・僕ちゃんのキーワードだもの。
 何がビンゴだって(?)まずこの展示は1~7章までの(SEVEN)ドラゴンボール構成(7つの惑星)になっていて、最後に番外編として畳の部屋の襖絵、合計8でフィナーレという構成になっている。僕は気分によって音声ガイドを聴くときとそうでないときがあるけど、今回は東山の生声ってのもあったし、呼ばれちゃったんで聴きました。100年も前の人とは思えないよ、僕は彼と出会った、死者ではなく(幽霊でもドーナツの空洞の人物でもなく)1人の人間として、きちんと出会った。

横山大観以来なのだけど、僕は大観のとき、あまりにも具合が悪すぎて闇上がっていたんだけど、やっぱり元気になってきたんだ!あのときトイレに駈けこんで薬を飲んだりきつかったのを思い出す(六本木)僕は絵を見ると、すぐに、そのときの自分が思い出せる。音楽といっしょで、僕は絵に時代をすり込んでしまうのである、そのときどうだったかとか・・・だからダリをみると、そのときを思い出す、ちょうどそのころダリは仕事でも関係していたけど、僕はその絵に入っていったから・・・おっとずれた!で、こういう展示を観に行くときは、絵のパワーに吸い込まれるというか、合わせてみる、もしくは、自分のところから入っていく、いま、その絵と僕は違うところにいるのだけど、観ることで入っていく、そういうスタンスの取り方をしているのだが、今回はまるっきり違った。入っていくのではなく、呼び込まれたといっていい。テンションがまったく同じなんだもの。こういう展示の観賞の仕方は、自分にとっては前代未聞・・・そのドラゴンボールの展開が、ちょっと怖くもあり、おお!きゃあ、きゃあ、わあ!そうきたか・・・みたいな。全部つながっている。3月4月の自分の開運時期にみた現実世界での出来事なり夢(夜見る無意識の領域)だったり、経験とシンクロしていたっていうのかな、開眼して観るってこれかもしれない。横山大観の流々流転の絵巻物だったりは、やはり、かなりヒットだったのだけど、絵に無理に合わせるというやり方で入っていくのではなく、呼ばれて入っていたというか、運命的な出会いっていうのかな、それだった。つまり、これは、僕ちゃんにとって、井戸の脱出から生六角形の作成への大きな杭になったということである。僕のパズルと出来事とすべてつながっているってこと。どこのドラゴンボールなのか、自分なりに印象に残ったものをかいつまんで分類して書いてみる。もちろん全部の作品にコメントを入れたいのもやまやまなんだけど、そのなかでいくつか。


第1章 土星
 「山国の秋」、「残照」、生きているということは無情と流転であり死のみが普遍である。山と木と私が一体となっている。大地がしっかり描かれている、土星の力。
 
第2章 金星
 「秋風行画巻」には目に見えない風が存在しているということを絵に描いている。道は、この展覧の目玉として登場しているが(ポスター)過去から未来へ、絶望と希望を織りまぜられた一本の道が描かれている。「青響」英語でグリーンエコー。青なのにグリーンって訳されていたよ。青と緑ってなんだろうね。目に見えないのに1本の滝を描いている。ああ、見えるよ、僕にも見える、わかる!滝が上から垂直に落ちてきているんだけど、それは実際に存在していないのに絵には描かれている。この滝はドラゴンボールの龍だよ、これこれ!

第3章 太陽の力
 第3章はヨーロッパの風景が描かれていて、今までのテイストとは少し変わる。彼はありのままを描かない。真実がそうであってもメッセージには光をいれる。太陽の力だよ、これ。寒さのなかにもあたたかさを、暗さのなかにも明るさを、過酷な条件のなかでも生の輝きを書いている、これを太陽の力といわず、なんというのでしょう!「映象」では神秘の世界をかいていて、シャドーをきちっと絵に入れこんでいる。ほんとうはもっとぼんやりしているはずなのに、そこまできっちり描くと、それは神秘になるな。白夜光はフィンランドの風景。夜がなく太陽が地平線にとまったまま白々したところを書いている。太陽が落ちない、ずっと・・・太陽は沈まない、太陽はずっとある。「冬華」これ満月と思って勘違いしてたんだけど、違ってね太陽なんだって!それでシルバーを基調にしていて(グレーといってもいいかな)ピンク色だとか明るいいろがちょんちょん後ろにのっていてこの淡いテイストでこれを描いているのはすごい。霧の中にある太陽ってのは、シルバーに輝いているんだ。ウィンターフラワーだな。しかも、これ、よくみると(やばい)まったく、これ僕はもう見ていたしこれは僕のピースだよ。太陽の力だね。「緑響く」ああ、やばい。緑、縁。これ、ちょっと・・・。白馬とは実際に存在しているのではなくて「心の祈り」を象徴しているらしい。白馬はピアノの主題で、オーケストラーが青緑の森。モーツアルトの第2章の音楽だってさ。この青緑の森は、僕は、前日に見ていた。ああ、これ・・・僕は呼ばれている、この絵がわかる、そしてその青緑の森になぜ行かなければならなかったのかも、わかっていたけど、彼はそれをちゃんと絵に描いている。ビンゴ。でもこれは太陽の力なんだ、しかもまたもや彼はシャドーの中に、投影としてもう1つ同じものをきっちりと描いている。シャドーがシャドーではなくそれは現実にあるものだと思っていれこんでいる。どうしてよって現実世界しかみれないひとは思うだろう。今の僕はそれがわかるよ、それがドーナツの空洞なんか形あるものなのか、そういう区別なんかなくなちゃって、そうなってしまうと神秘の世界になってくるな。そしてこの絵がでてくると、季節はもはや冬ではなく春になっている。うーん、そうきたか。春だよ、春。

第4章 月の力
 「花明り」満月と花の出会い、一期一会を描いている。これよくみてよ、いやだ、僕にはみえる、しかけてんのかな、それで、ここには書かないが帰り道で、それが出てきたよ!ムーンライトに僕はさんざんやられっぱなしだから、もうこれはまちがいない。あははwww花は月を見上げている、月は花をみている。花と満月の出会い。でもまさか、この絵がトータルであんな見え方をするとは、僕もほんとうにびっくりしている。そのひらめきなり僕なりの見え方はここには書かないでおく。書いたら面白いんだろうけど、あいついっちゃっててどうしょうもないやと思われたらいやだからさwwwもちろん、ちょっとここらの僕はいっちゃっているんだけどもねwww

第5章 水の力
 霧と雪がでてきた。「霧の町」にある窓は、過去と未来を距てていて、人の心の通い路の象徴として描かれているらしい。そういった過去、未来、人のこころという境界を描いた次ぎにでてきたのが教会。境界から教会???いやだ!ちょっと・・・www
 
第6章 木星の力
 モノクローム、青の世界と墨の世界、青の中に1本の滝。また滝だよ、さんずいに竜とかいて滝。実際に滝はないのだが、絵には描かれているとのこと。滝って目に見えなくても存在している。水も竜も現実世界にはない。でも、彼は描いている。そしてその滝は頭上から一直線に下へ落下している。霧と滝と雲が、山や森林、木々のなかでクローズアップされる。木星の力がそうさせている。木がなければ森林がなければ山がなければ、緑がなければ、海や青がなければ、滝は存在しない。さんずいに竜とかいて滝。それは目には見えないけど、存在している、そして竜も目に見えない。

第7章 火星の力
 終わりなき旅、人間が生かされているということ、心の中の旅が絵に描かれている。「白い朝」、白い雪のなかに1羽の雉子鳩え描かれている。そう、この絵をみたあと、僕は1羽の雉子鳩(龍さん)と出会った。僕は勝手気ままに動いていてあまり計算をして動いていないけど彼女にはばったりとビンゴで会えた。運命ってこれだと思う。僕は火星の力で、ドラゴンボールが7つそろったとで今までと違う地平線に到達する。雉子鳩と未来。長い間の1つの仕事を終えたという節目を現しているのだが、この1羽の雉子鳩は新しい出発を描いている。僕は龍さんと出会って、やっぱり自分の身体に羽がくっつくんだ、飛べる、未来に。

ドラゴンボールカテゴリーは僕が勝手に書いただけだから、おまえ、ちがうやんっていうのがあるかもしれませんがwww

番外編 畳の臭いが新鮮だった。海があり、山があり、水の流れがあった。展示はそこで終わっていた。

龍にたけかんむりをつけて、籠。龍にさんずいをつけて、龍。ぼくは、どうやら、どこかに籠もっていたらしいけど、この3月4月、たしかに滝が出てきて(高島先生の予言通り)そして7つのボールを集めたみたいで、龍が登場した。

僕は、その日、龍の乗物に乗った夢をみた。大きな波が頭のてっぺんよりも上にきているのに、僕は龍のカプセルのなかにいたから、呼吸が普通にできた。(龍の薬がきいたんだと思う、だいぶ苦しいのをこした。峠をこす。山に上と下とかいて峠。僕は峠をこした)サーフィンの波って大きいのは3つ連続してくるの。8つ小さいのがきて3つ大きいのがくる。僕の20代のころの彼氏がユウジといったけど、彼が僕にサーフィンを教えてくれて海を教えてくれて波乗りを教えてくれた。僕はももたろさんであったけど波乗りができるようになったのはユウジが教えてくれたからなんだけど、・・・僕はユウジと別れたと同時に波乗りをやめたw僕ちゃんはわかりやすいや。どっちにしてもユウジは戦友みたいなもんだったな。僕は彼氏ができても、その人を動物扱いしたり、つまりあんまり女の子チックでないっていうか。ユウジはサーフィンなんかしないかわいい細い子と結婚して子供をつくっていまたぶん、元気にパパをしていると思う。僕は恋人だった人とは友達になれないからユウジのその後をしらないwでも、まあまた街でユウジをみかけたら、おお!元気くらいは言ってもいいかな。僕は過去を消化しちゃっているから。僕にとってユウジはサルだな。動物の申で去る。春分の日に10年ぶりにある人に道であった。僕はその人に会いたいと思っていたわけではないし、それは偶然だった、僕が過去に分かれをしっかり告げるための別れのしるしとしてあらわれたのだか、僕は彼女と大きな四角い箱のなかで出会ったから彼女とは口を聴かないはずだったけど、僕たちはすごく久しぶりに10年ぶりに出会った。過去と現在と未来。高島先生は宇宙が動くときを教えてくれて、僕は信じていなかったし、どっちかっていうと結論ありきで動いているから(例えば僕はとげぬき地蔵を信じているけど、それはとげを抜いてくれたから信じているだけで、信じたから願いがかなったというのとは違う)その日、わんちゃんは大好きなジェロと写真をとって僕におくってくれたけど、不思議だねとお互いにあのとき連絡し合った。僕は喘息だったり、薬だったり、夜見るよくわからない夢だったり、身の回りのことだったり、さんざんな3月4月だったけど、やっぱり大きく何かが動いていて、僕は、点と点を結んで、それを井戸の形にしてみたけど、そのあと、それは6つの面になって、点が線になり六角形の立方体だったのかとも思っている。3月の終わりあたりは、これは違う、流れは出てこないだろうと思っていたけど、どうやら水があった海とつながっていて、それは、たぶん、つながっている、僕がこの3月4月のいろいろなことと。でも、僕は、そんなビックウェンズデイ、4月最後の水曜日、僕は水のなかの夢をみていた。無意識の領域に支配される夢とは、じゃあ何なのか、彼の作品にその答えがあった。それが何を意味しているのか。そして、それは何が動かしているのか。ああ、僕の予想はすべて神経衰弱のようにたしかめられた。ぼくはみえてしまう、でも、それはきつい。だから、ビックウェイブの中に入っていくほど勇ましさがない。僕はただ、じっと、その大きな波を龍のカプセルのなかに入ってその大きな波をみていた。あれ僕ちゃんの背中にはカメのこうらがついている。そろってる、6角形になっている。このまま泳ぐのは無理だよ、いつか、このカプセルが水際に到着するまで僕はじっとしている気がする。僕ができるのは龍のカプセルのなかで少し動くことくらいかな。龍のお腹はおもったよりも大きくて、春分の日にあった彼女ものっけていた。彼女はとんでもないことをカプセルのなかからやらかした。出て行きなさい、海のなかに波にのっていきなさいってサーフィンの板をなげつけたんだよ、もう僕は震えていたよ、そんなこと僕にシネというのか。何度ぼくは死ねばいいのだろう、もう無理。僕はその彼女をしかとして、ただじっとしていたよ、その流れだけみて、波だけみて、ビックウェンズデイのビックウィブをただじっとみて。そして、僕はサンザンに悩まされていた喘息を克服しようとしている。闇上がっちゃってるから、どうなるかわからないけど、僕は少し快復してきている、また再び・・・でも夏目わんわんドクターに言われたとおり、また再発しないように僕はしばらくじっとしていなくちゃいけないのかもしれません。医者には無理すんなよって言われているし僕はやっぱり無理ができない身体です。龍のお薬をきちんとのんでおとなしくしています。僕にはまだ羽がないから飛ぶことはできない。でも僕はとりあえず、ここまできた。 

また、もう1回、観に行ってもいいかなと思う。僕には、こういう芸術は、やっぱりなくてはならない。精神的な薬として。

僕が購入したポスターは全部で13枚wwwピンポイントで記念に購入。いろいろ・・・全部ほしかったけど13枚にした。復活。6+ドラゴンボール7=13。リュー・ドゥ・ピーチ。僕の道はどうなるのか。あれ、この絵、「道」の絵をじっくりみてみて。滝みたいじゃない。この道は上向きになっているんだけど(歩くには少し体力がいるな)よくみると、これ滝じゃないの!滝だよ、竜・・・でもピーチじゃ上から転がすのはよくても登っていくには、羽がないといけないな。それじゃ羽がつくまでおとなしくするしかないかvirgo僕は6年間あることをきちんと貫徹したし、それにほんとうの多くの人に恵まれてきたのと、やっぱり、もう死ぬまでやってきちゃったってのと、あとは、この厄年最後のフィナーレとして、枯れた井戸で10か月10日頑張ってきたから何でもやろうと思えば出来るんだという自信なりはあるし、何かにしがみつくなんてことはないし、流れていくものを受け止める力はできているのだけど、その動きが、なんとなくドラゴンボールがまた動く気がするから、いまは、おとなしくしています。それだし、なんとなくですが、僕はまだ大事なピースを全部集めていない気がしている。まだ死角があるのかもしれない。まだひろいきっていない気がしていて、とりあえず、この道が上向きなのを意識しながらいけたらいいかなと思っています。
MitiTouka

HanaGr
ビックポスターは2枚。自分の部屋に飾っているもの。《花明り》1968年。《緑響く》1982年



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